母のこと(その1)

弥生三月ひな祭り。

先週福岡から戻って以来どうにも空模様がパッとせず、それに引きずられるかのように気分もパッとしなかった。
母のことだけでなく、大将(夫・仮名)のことドラ(息子・仮名)のこと、一時にいろいろと重なってしまい心もどんよりしがちで…とはいえ、私も家族も健康状態が悪いわけではなくよく食べよく寝ているのでどうぞその点はご安心を。

昨日は久しぶりの晴天で、それだけで気持ちが明るくなった。
月も改まったことだしそろそろ再始動しよう。
そのためにはやはりきちんと母のことを書いておかなくては。

これはWEB上の日記に書くような事柄では本来ないのだろうが、何人かの近しい友人に事の経緯(硬い言葉だなー)をお知らせしたい気持ちもあるので、超個人的かつ重苦しい内容を羅列することをお許し頂ければと思う。
実際には、葬儀の最中もそのあとにも不思議なことや愉快といえるようなことすら多々あったので、出来ればそのへんも織り交ぜながら書き残しておきたいが、はてさてそのような筆力があるかどうか…。

いずれにせよ、読むも読まぬもお心のままに…であります。

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2月16日(月)午後18時過ぎ。
福岡の父から電話で「母さんが倒れた」という知らせを受けた。
実は母はこれまでも数回、前触れもなく失神したことがあったので心配しつつも(じゃあ入院したのかな)と理解しかけたところに「意識が戻らない。覚悟をしておいてほしい」と告げられる。
…覚悟?
まったく意味が分からず「どういうことなの?」と尋ねると詳しい状況を語ってくれた。

その日の朝10時半ごろ、自室に居た父がリビングで物音がしたのに気づいてそちらに行くと母が倒れていた。
全く意識がないようだったので急いで救急車を呼び(しかし残念なことにすぐには来なかったらしい)、病院に着いたのが11時過ぎ。
救命措置で心臓はかなり回復したが、どうやら倒れた時に食べ物が気管に詰まってしまったようで窒息に近い状態が続き肺のダメージが大きく自力呼吸ができない…という医師の診立てであった。

着の身着のまま救急車で付き添い母につきっきりだった父は、携帯も何も持たず出たため、姉と私に連絡できたのは夕方になってしまった…とのことだった。

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