母のこと(その2)

そんな電話を受けて冷静でいられるわけもないのだが、つい(どうして?どうして?)という思いが頭を廻り自分がすべきこと・すぐに出来ることが見えなくなってしまった。
「とにかく行く!」という私に父は「いや、今はICUに入っていてとりあえず安定というか…植物状態のようなものですぐにどうこうというわけではないかもしれない。明朝もう一度先生の話も聞いてから連絡するから、待っていてくれないか」と。

受話器を置いても理解ができず、ただ涙が溢れて仕方なかった。
ドラが心配そうに「どうしたの?」と聞くので「福岡のおばあちゃんがね、倒れてしまって、危ないんだって」と説明するのがやっとだった。
月曜の夜は毎週大将は会議で遅く、すぐに福岡に行こうと思ってもドラはどうするんだ?そうだ、とにかく大将に知らせなければ…と動かない頭をなんとか働かせ連絡をとる。

「なんで?!」大将も絶句していた。
「今日はできるだけ早く帰るから」と言われ呆然としたまま、それでも日常のあれこれはこなしてドラを寝かせしばらくすると大将が帰宅した。

わかっている限りのことを話し深い溜息。
「少し飲もうか」とワインをついでくれる大将であった。
こんな時にお酒なんて…とどこかで思ったが、それは有難いワインだった。
ちょうどスマスマをやっている時間で、いつものようにTVをつけてはいたが表面を流れていただけ。
ユニコーンとスマの歌う「すばらしい日々」だけが今もその時の記憶にくっきり刻まれている。
あのサビは本当に素晴らしく美しい。

さすがにその夜はなかなか寝付けず。
それでもしばらくうとうとしていたが夜明けにふっと目が覚め、時計を見ると4時40分くらいだった。
しばらくして割と大きな地震があった(千葉が震源で震度4だった)。
そのまま眠れずにいたところに姉からの電話が鳴ったのは5時40分。

「今病院なんだけどね、良くないの。できるだけ早く福岡に来て」

まさかそんなに急激に悪化してしまうとは思いもよらず…意識は戻らずとも植物状態が続くのではと父も姉も私も思っていたのだ。

出来るだけ早く支度をしなければ。
そう思うのに体が動かない。
とにかくドラを学校に行かせ、最低限の家事をして荷物をまとめて。
荷物って、何を持っていけばいいんだろう。
そうだあちこちの連絡先もメモして残して行かなくちゃ。

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