私が巫女さんになっても その31

そもそもこの曲からは、歌詞だけでも明確な感情が伝わってくる。

強い愛情と深い憧れ。
突然失われたからこその長引く痛み。
その人にもう一度、逢いたい。

それを歌だけではなくダンスで、全身で表現する。
一心不乱に。
ほとばしる感情を隠しもせずにさらけ出す。

2006年、直接マイケルに会えたときの子供みたいな顔を覚えている。
5人とも、突然のマイケルに驚いて呆気にとられて言葉を失って。
本人に向かって「まいけるじゃくそん?まいけるじゃくそん?!」って。
何度も尋ねて、大きな目を更に見開いて。
…出逢えた日の歓喜を知っている。

少年のころから憧れ続けたマイケルのダンスを踊る。
何百回見たかわからないそのダンスをきっと胸で反芻しながら踊る。
どんなに長くどんなに強く憧れていたか、言葉よりも伝わるダンスを。

亡くなったあとプレミア試写会に呼ばれて「マイケルのことを好きでよかった」と言った顔を覚えている。
MJがデザインした「HEAL THE WORLD」というリストバンドを受け取った時の瞳の色を覚えている。

魂に届けとばかりにその人に捧げるダンス。
ダイレクトに届けられる生々しい感情が痛い。

踊っているのに滝に打たれているような人。
‘MJ瀑布’に打たれながら踊る人の飛沫を浴び、轟音を聴く。
身動きも出来ずに。

いつの間にか自分も滝に引きずり込まれていた。
異次元の滝。
‘MJ瀑布’に打たれる‘中居瀑布’の下にいた。

二度と逢えない悲しみが自分の中になだれこんでくる。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、突然いなくなってしまったらどうしよう。
境目がなくなり誰への悼みなのか混沌とする。

ダンスが終わって、振り絞る声。
身体を二つに折るようにして声の限りに、血潮で滝を染め上げるような姿。

胸の奥のダムが決壊する。

そのあとに見えたのはすべてを出し尽くした放心の背中。
それを見送っても‘滝’の下から動けない…。

言葉で説明するとすれば、こんな状態だった。

細かい動きは覚えていなくても、あの時に観て聴いて感じた滝は忘れない。
ダムが決壊したまま、締めくくりのスクリーン映像を見ることもできないで椅子にうずくまって泣いた。

ここはクールダウンするために必要な時間だったんだ、と思い知る。
(あれはあくまでもオチであって、そんなつもりじゃないんだろうけど。)

その32へ続く