あと一ヶ月で

・昨日(11日)書けなかったので、今日が11日の気持ちで書きます

・あと一ヶ月で「あの日」から丸二年
・PCは開けなかったけど、昨日の民教協SPは録画してじっくり拝見した
飯館村の、この二年の記録「キ・ボ・ウ」
・最も印象的だったのは村長のこの言葉
・「他の災害ならば(復興を目指して)結束するが放射能は分断してしまう」
・かつて盟友として村のために尽力した男性同士が対立する立場になってしまった
・一人は村をなんとか除染し一日も早く帰村を実現しようとする
・もう一人は(当然帰りたいけれども)本当に除染などできるのかと危惧する
・村を棄てるという最悪のシナリオも想定しておかなければならないと発言する

・約1時間の番組でしたが、ずしりと重かった
・大地震を、大津波を、そして原発事故を忘れないために
・こういう番組がこれからもずっと作られ続け、見られ続け、語られ続けなくては
・先日バイトに行った先の昼休み、ふと震災の話がでた
・「家具を固定していない」と言う方がいらしたので「した方がいいです!」と…
・つい力説してしまったが、あの震災前は我が家にも固定していない家具があった
阪神大震災の大変な被害をメディアを通しては見知っていたつもりでも
・いざ自宅の備えとなると手を抜きがち、いい加減に過ごしてきた

・以前も書いたことはあるけれど、個人的な地震の経験を再度記しておこう
・あの日、大きな揺れで天井から吊り下げ型の照明器具が落下した
・インフルエンザで寝ていた私の真横に落ちた
・幸い布団の上だったので割れはしなかったけれど取り付け部位が壊れた
・同じく寝室にあった、かなり重たい暖房器具(デロンギ)も横倒しになった
・隣室の本棚は倒れ本やCDが散乱し、一つの本棚はそれ自体バラバラに崩れた
・食卓に置いていた大きな食器棚は、下支えが強かったので倒れはしなかった
・でも強い揺れに何度も何度も揺さぶられ観音開きが全開となり食器は粉々に
・固定していた箪笥とドラ(息子・仮名)の勉強机は無傷であった
・その経験から去年、引越してきた際にあらゆる家具を固定して回った
・もちろん固定しておいても揺れによっては倒れることもあるだろう
・気休めかもしれないけれど、そうせずにはいられない
・今も心身にまざまざと記憶されている大きな揺れの恐怖
・せめて直接あのときの話をした方には「揺れへの備え」をお願いしたくなる

・最近また各地で地震が増えている…
地震大国日本では、大きな地震を経験した人は相当数いるはず
・しかし大津波は映像でしか見ていない人が多く
放射能に関しては「見る」ことさえできない
・ボロボロの「ふくいち」は見えるけれど放射能そのものは目には見えない
・だから「地震」そのもの以上に、丁寧に何度でも繰り返し語られなくてはいけない
・他の国に原発輸出だとか、そんな話すら出始めている「2年後」を
・あのとき被災した方々はどう受け止めておられるだろう
・帰りたくても帰れない故郷を持つ人々は、どう思っておられるだろう
・除染できたとして、その「除かれたもの」はどこにどう保管するというのだろう
・2年経とうとする今もなお3000人近い行方不明者がおられる
・避難先で孤立死なさる方々も増え続けておられる
・忘れてはいけないこと、考え続けなければならないことが、沢山ある
・ヒステリックに反対するとか批判するとかではなく
・長く続けるためには時にユーモアも交えながら、真面目に、無理せずに
・仮にちょっとぐらい景気が持ち直したとして、すべてOKには決してしないように
・(なーんか、そんなニオイが最近しませんかー)

・スマの話もドラマの話もフィギュアの話もしたいけれど、それは次回☆
・(愚日記に頂く嬉し恥ずかしなおほしさま、励みになります)