ライナスの毛布

最近めっきり暑い。
早くも夏バテの気配を感じる虚弱体質のワタクシですが、皆様はいかがおすごしでしょうか。

こんなに暑いのにタイトルに「毛布」なんて言葉を書いてしまった。
しかしライナスの毛布は毛布であってタオルでも手拭いでもないのだから仕方がない。
御存知でしょうか、スヌーピーに出てくるライナス君と彼が手放せない毛布のことを。

子供の頃は誰しも何かお気に入りのものがある。
それがあると安心、それさえあれば他にはいらない…というぐらい唯一無二の「何か」を持っている子供も多いと思う。
うちのドラにとっては、「ハム太郎のバスタオル」がそれにあたる。
TVのハム太郎を見せたことはないのにキャラクターがツボにはまったようだ。
元々タオルとか布類に執着を示していたのだが、これは特別。
なにしろ手放さない。特に眠くなった時にこれがないと大変だ。
洗おうと思っても「せんたく、いやぁ〜!」と泣かれてあきらめたこともしばしば。(バッチイぜ!)
ディズニーのキャラクターのタオルなんかもたくさんあるのに、かわりに渡しても納得しない。
だから旅行先にも必ず持っていく。

こういう感覚というのは、いつまで続くんだろう。
確かに大人になっても手放せないもの、そばに置いていたいものはあるけれど・…無ければ無いでなんとかなる気がする。
一日二日、それがなくても大丈夫。あるいは他のものでとりあえず間に合わせることができる。
少なくとも私にとっては物質的なものでそこまで執着するものはない。
現代日本に住む人々は「携帯電話」が「ライナスの毛布」になっている人が多いのかもしれないけれど。
(私の場合ケータイは現在使わないが、PCは数日見られないとなるとちょっと落ち着かない。)

ケータイやPCと違って、ハム太郎のタオルは何も発信しないし受信もしない。
しかしドラにとって大事なのはそんなことではないのだ。
本能的に好きなもの、温まるもの、大事なもの。想像の世界で一緒に遊べるもの。

そういえば私も小さい頃綿毛布の端っこが好きでよく頬ずりしていた。
小学生の頃、公園の木々の一本一本に名前をつけて物語を作っていた。
いつからそういうことをしなくなったんだっけねぇ。

なんの変哲もないバスタオルだが、こころゆくまで抱きしめてお眠り、ドラ。