鬼と仏

…確かに人の心には鬼も仏も棲んでいる。

と思いながら先日録画した「陰陽師」を見終わった。
野村萬斎は文句のないはまり役(あのキツネ顔!それに狂言師ならではの立ち居振舞い!好きだわー萬斎!)だし真田広之はこぼれおちそうな色気で抜群の存在感。
映画自体はどーってことない作りだったが、あの二人を見られたので満足。

話は変わるが最近毎日のように報道される「北朝鮮による拉致被害者」のご家族。
ニュースを見たり新聞を読んだりすると、いかにこの人達がこの20数年間を辛抱強く耐えてこられたか想像し気が遠くなる。
そして現在進行形で傷を負わされつづけているであろうに、ご家族の芯の強さたるや…不動明王の如きだ。

もしも自分が同じ立場に置かれたなら。
あのように凛としていられるだろうか。
心の中は鬼だけになってしまっても仕方がないような状況なのにも関わらず、他者を思いやる心を忘れず家族の無事を信じつづける仏のような姿を目の当たりにし、思わず自問してしまう。

そして拉致を命令した人間、実行した人間の心にはどのような鬼が棲んでいるのか、なぜそんな鬼が棲みついてしまったのかとも思う。
そもそも朝鮮半島が分断されたのは何故だったのか。
そこにどんな鬼が働いていたのか。
結局は争いを起こそうという心こそが鬼なのだ。

長年にわたって無策でありつづけた日本(政府だけではない)も鬼だ。
不幸を知りながら無関心だったのだから。

国交正常化交渉については時間をかけてやっていくべきだと私は思うけれども、被害者とそのご家族をこれ以上鞭打つような仕打ちだけは許されてはならない。

自分の中に棲む鬼と仏についてもちらちらと考えながら…その話はまたいずれ。