テレビテレビテレビ!その4

ひき続きETVスペシャル・第二部について。
こちらは「なぜ大人は子供のことをわからなくなってしまったか」をメインテーマに、今後のヒントを模索する内容になっていた。

要約すると80年代から郊外化が進み個室や小型TV、電話の子機、コンビニが普及しそれは単身者(子供を含む)をアシストするインフラであったと。
それによって家族が(心理学的に比較的無防備になるといわれる)「食事」をともにしなくなった。
親の力量が激減したというよりそういった「わかる機会が削られた」ことも大きな要因ではないか、という前提が挙げられた。

今求められているものは「斜めの関係」である。
親→子供という縦の図式だけではなくて周囲の大人(複数)→子供というのが斜めの関係。
(価値観や意見が多様であるということを子供は知ったほうがよいということなのだろう。)

さらに「目からウロコ体験」が必要不可欠である。
(大人だって必要だもんな、こりかたまって錆びないためには。)

親・学校・地域が一体となって…とよく言うがそれは意味がなく、コミュニティは異質さを認める寛容性をもっていてほしいものだという指摘も。
(なるほど。そりゃおっさるとーりっすよ。)

概して親は子供を同質なものとして理解したいものだ。
斜めの関係であれば異質さも認めやすい。異質さと触れることは目からウロコ体験である。異質さを遠ざけず多様性を認め合い対話を…と書いてしまうとこれまた「そりゃそーだけんども」と言いたくなる結論づけではあった。
でも痛いところをつかれもした。
親子の問題だけではなく人間関係において、同質だと心地良く異質なものはできるだけ避けたい気持ちが自分は強いほうだから。
理屈では解っているつもりだ、違いを認め合うことがいかに大切か。
しかし実際は「同じ穴の狢」を求めてしまう意思の弱さ…というのかな、安易さというのか…む。

とにかく子供をテーマにした話だったがいちいち己を省みてしまう内容であった。

異質といえば。
芥川賞受賞の2作を読んで感じたのが「蛇にピアス」における異質さ。
だけど妙に惹かれてしまう。
蹴りたい背中」の方が自分には馴染む世界であったけど、どちらが好きかと問われれば蛇。
夢中になって恐竜のお絵かきをしているドラの横で読んだので一層ギャップを感じ魅力的に思えたのかもしれない。
金原さんの次回作は是非読みたい。