‘温泉天国’とは程遠い記録 その3

かといって自分を過度に哀れんだり高純度に落ちこんだりもしていない。
正直、どうしてこんな目にあわなければならないんだろうとは思ったけれども。

本当はもっと純粋に嘆いたり泣いたりできたほうが楽な気もしている。しかしどんな時も多面的に(といえば聞こえはいいがどこか醒めた目で)物事を考えてしまう性分だからそれはできない。
「大丈夫だから」と言ってみせるのは相手を安心させたいからだけではなく、自分が完全に倒れてしまわないための自己防衛なのかもしれないが…。

ドラに「あかちゃん、生まれないことになっちゃった」と打ち明ける瞬間が一番悲しかった。
4歳なりに彼は悲嘆にくれ、「どうして?」を繰り返し大粒の涙をこぼした。
説明は難しい。大人でも受け容れ難い事実を子供にどうやってわからせることができるだろうか。
「あんまり悲しみ過ぎると赤ちゃんが天国にいけないからね、残念だけど諦めようね」と言ってやるのが精一杯だ。

ドラが本当のところどういう風に受けとめたのかはわからないが、その後も体調がよくない私を心配していつものような我侭もあまり言わずにいてくれたのは少し成長した証なのかもしれない。
改めて、ドラが無事に生まれてくれたことを感謝する。
子供が生まれるのは「当たり前のこと」ではなく、身近な奇跡なんだと思う。

なんだか書いていて気落ちするので、読んで下さる方もそうなのではと危惧している。
そんな文章は人目にさらさず心にしまっておけばよいのではとも思う。
早過ぎた妊娠の報告をして友人に気を遣わせたこともやはり後悔している。

だけど。だけど、だ。
‘おめでとう’と祝福されたことをせめてものはなむけにしてやりたい。
家族から待たれ、周囲からも喜ばれた存在だったのだといつまでも記憶したい。
なかったことには絶対にしたくないから。

望まない妊娠で生まれてくる子もいれば、望まれても生まれて来れない子もいる。
どんな親のもとに生まれるか、どんな境遇で生まれてくるか。
やみくもな運命論者ではないが、そこにはやはり運命の働きを感じざるを得ない。

「係留流産」とはどんなものなのか、少しでも理解するためにネットを検索してもみた。
そこには「自然淘汰」という言葉が記されていた。
厳しくて深すぎる言葉だ。その言葉の前にはどんな疑問も太刀打ちできないではないか。