‘温泉天国’とは程遠い記録 その2

第2子とはいえ高齢出産の不安もあったしこの先の台所事情も子供が二人となれば今までよりぐっと厳しくなる予測はついていた。それでもとにかく、楽しみだったのだ。
もう子供はできないのかもしれないな、と思い始めていた矢先だったから尚更に。
九月に産むとなったらスマコンはどうなる?とか、生まれてもまだ大河は続いてるんだなぁ、とか。
実に気楽なスマヲタ妊婦で、肉親や親しい友人に妊娠の報告をして「おめでとう」と言われるたびに素直に嬉しく顔がほころんでいた。

そんな日々は唐突に終わる。
2月28日、3回目の検診で「係留流産」を告げられたのだ。
要するにおなかの中で子供が育っていない、心臓が動いていない状態であると。

「妊娠の10%くらいの割合でそういうことがおこる」
「原因を特定するのは難しいがおそらくは受精卵の異常である」
「初期の風邪(喘息)のせいではない」
「このままの状態でいるのは危険なので早めに手術をしなければならない」

医師の言葉に間違いは無いのだろう。
だが理解しがたい現実だった。頭で理解しようと努めても体が拒否反応を示す。
「手術はいつにしますか」
それに即答できる妊婦がいるのだろうか。
やりきれない気持ちをどこにぶつければよいのかわからないまま一旦病院をでる。
一番に話したのは当然夫である。寝耳に水の話に衝撃を受けたのは彼も同じだ。
しかし現実と向き合うしかなく、彼が会社を休める日を確認し病院に連絡する。
翌週の火曜日で決定。
いくつかの注意と説明を受けモラトリアム(まさに執行猶予)な二日間を過ごすことになった。

3月2日の午前、流産の手術を受けて午後に帰宅。
以後数日の安静を言い渡され薬を受け取る。

全身麻酔にかかる直前の最低な気分、麻酔が効いている間に見た幻覚のような夢(そこに流れていた圧倒的な色と音の洪水、問いかけられる声など…まざまざと全てを思い出せるが今はこれ以上書きたくはない)、麻酔が切れかけてから過ごした病室での数時間、順調な妊婦さんたちと一緒に待合室で名前を呼ばれるまでの重苦しい数分間については一生忘れられないだろう。
まだあまりに生々しくて書くことさえ憚られるそれらの痛手は、「珍しくはない出来事だ」とか「世の中にはもっと悲劇的な体験はいくらでもある」などという一般論では慰められることはない。