‘温泉天国’とは程遠い記録 その1

ここしばらく日記と向き合えませんでした。
その原因と心情を書き留めるかどうか迷ったのですが、読んで頂きたいからというよりも自分のために残しておきたいという理由で(今現在書けることだけ)記録することにしました。
WEB日記には相応しくないことを気にしつつ…でも‘日記’だからと半分は開き直りつつ。

明るい話でないなら読みたくないよ、という方はどうぞスルーして下さい。
(字数制限のため1〜5まで続きます、最後はなぜだがスマ礼賛…)
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端的に起きた事実を並べれば、妊娠がわかって1ヶ月後に流産という結末に終わってしまった…その一文で済んでしまう。
しかしほんの短い期間ではあったがその存在は私と夫、そしてドラにとって紛れもない「家族」であった。
顔も見られず、胎動すら感じられなかったけれども九月に逢えることを3人で心待ちにしていた確かな存在。

失ってしまった人を悼む気持ちというのは、その人との良き思い出があればこそ涌いてくるものではないだろうか。
ドラが毎日おなかにむかって何かと話しかけてくれたこと。お前がパパか?と笑ってしまうほど、きょうだいの出現を喜んでくれたこと。子宮と羊水と本当に小さな点にすぎない胎児の写真を手垢でベタベタになるほど飽きずに触っては見つめてくれたこと。
今それらの光景を思い出すのは辛いが、心身の痛みが癒える頃には再び温かい思い出となってくれると信じている。

「なまえなににする?」
「あかちゃんのベッドかわなきゃね!」
「ねぇおむつもいるんじゃない?」
「あかちゃんはどこからくるの?」
「おとこのこかなぁおんなのこかなぁ」
「ママ、くすりのめなくてたいへんだけどがんばってね」
「あかちゃんはどうやってうまれるの?」
「はやく9月にならないかなぁ、どうして9月なの?」
「どんどんおなか大きくなる?どのくらいになる?」
「ほんとうはかわいいいもうとがいいけど…おとうとでもいいよ!」
「このふく、もうちいさいからあかちゃんにあげようよ」

矢継ぎ早の質問に眩暈を覚えたりお兄ちゃんらしい決意や思いやりに驚いたりしながら、私はいつも決まって「そうだね、元気に生まれてくるといいね」と会話を結んでいた。
妊娠初期は薬の類が飲めないので喘息を悪化させ、その後は悪阻も始まり体調は酷かったが気分は常にとても明るくいられた。