透明人間の蒸気(ゆげ)を観た その2

ここまで書いておいてナンだが、芝居の内容について語るのは私の手に負えない。
これまでにももう一度観たいと思った映画や芝居はあったが、この作品はもう一度どころか何度でも観たい、少しでも核心に近づきたい…そんな気分にさせられた。
そうよ私はノダワールドの虜。またしても発揮される巫女体質。御告げを、ミコトノリを、もっと光を!(それは違うよな…。)
五感に訴えかけてくる強い意思を第六感で受けとめてもまだ消化できない、血肉にできない、舞を踊れない!(誰も見たくないか、そんな舞は…。)

そんなわけで表層部分で感じたことを書くにとどまるのだが…とにかくまずは舞台そのものが圧巻なのだ、恐ろしいほど奥行きのある新国立劇場を十二分に活かしている壮大な砂丘。裸足で踏む砂の感触や砂塵を感じ取れるほどの説得力があった。
新聞紙を使った日比野克彦による衣装も象徴的でそれだけでもアートである。
そして特筆すべきは宮沢りえだ!
これほど美しい女性がこの世に居たのかと感嘆するしかないような、神々しいほどの透明感。
ケラという役が彼女のはまり役であることは間違い無い。
彼女だったからこそケラの軽快さ、純粋さ、真髄に触れる奇跡のような力を嫌味なく演じられたのだと思う。そしてまたケラだったからこそ彼女の魅力が引き出されたのだと思う。

話がずれるが、私は今まで「人間離れした美しさ」を生で見て目が潰れそうになったこと(おいおい…)が2度ばかりあった。
1度目は青山のサバティーニで食事する女優・浅丘ルリ子を見たとき。親友タルーラ(仮名)の誕生日をバブリーに祝っていた時のことだから、おそらくもう10年以上前になる。
ルリ子さんの席だけ紗がかかっているかのようで、薫り立つ気高いオーラが漂っていた…。

2度目は…忘れもしない、98年のスマライブにおける木村拓哉(しかも上半身裸!)である。
初めて至近距離(汗の飛沫がかかりそうなほど)で見たその姿に私は「巫女化」したのだ、すなわち彼は美の神であるという確信にひれ伏すしかなかった…ケッコンによってどうやら神は神通力をかなり失ったようだが(こらこら…)あのときの姿はいまだに目に焼き付いている。
あれほど美しく妖しく不遜なほど輝くオトコはおそらく空前絶後だ、と今も思う。超主観ですけどね、勿論。

その3に続く