華氏911を見た その1

うちから歩いて行ける映画館で華氏911をやっているので、見逃す手はあるまいと行ってきたですよ火曜日に。
レディースデーじゃないが1,000円で見られるスタンプカード(映画館と提携する本屋でコツコツためたもの)があったのでヨッシャ!とばかりに。
威勢がいいのかみみっちいのか。

あまり大きなスクリーンではなかったのだが映画館で見られて良かった。
これはエンターテインメントとしての映画ではないから見て楽しい類のものではない。
見ている最中も見終わった後も辛く苦い気持ちがのしかかる。
それでも見て良かったと思うのは、映像の与えるメッセージがいかに大きいものか再確認できたからだ。善悪両面の意味で。

(ここから若干のネタバレあります、これから見る方は御注意を!)


日頃マスメディアが流す映像にいかに影響されているか、それを利用する力がどんなものか…それはこの映画が訴える大きなポイントでもある。
映画の冒頭部分、3年前の9・11に起こったテロの‘映像’は映さずに‘音声’のみを流す手法は、あの映像が与えた衝撃とそこから引き出された感情がどんなものだったかを思い起こさせる。目の前に映像がなくても、ありありと心に浮かぶほどに繰り返し放送されたシーン。テロだとわかったときに混乱し平常心を失った自分も思い出す。
あそこにいたのが自分の家族や友人だったなら。
耐えられない。大事なものを奪われて黙ってやりすごすことなんてできない。
戦争や暴力には絶対反対だがテロに対する報復は致し方ないのかも?…とすら考えた自分。
暴力的な報復はまた次のテロを産んでしまうのだとすぐに考えなおしたが…あの映像をみてなんの影響も受けなかった人はいないのではないだろうか。
そして、恐怖と悲しみと怒りを刷り込まれるように幾度も流された映像には何らかの意図は働いていなかったのか。真っ暗なスクリーンを前にそんなことを思った。

そして映画は次々に大統領と側近達をえぐっていく。
皮肉たっぷりに彼らの言動と表情を捉え、突きつけ、問いかけてくる。
私は田中宇という方のメールマガジンを購読しており、ブッシュとビンラディン家の関係やオイルマネーへの大国の執着も読んではいた。
だが「そのときどんな顔で」「どんな間合いで」何を言い、何を言わなかったのかを目の当たりにしたとき、映像の持つ力をまたしても感じざるを得なかった。

その2へ続く