キレイを観た その1

ドラが夏休みに突入してからというもの、自分の体調が悪かったことも手伝ってなんだかPC前でじっくり考えつつ物を書くという作業ができずにいる。
でも7月のうちになんとか舞台「キレイ」の感想だけは書いておきたい。

札幌ではスマコン初日・二日目が無事に終了したようで(ネタバレを避けるためあまり詳しくレポなどのチェックはしていないけど)、とにかく良かった!私のバカァンスは今週末!

いかんいかん、すぐにスマネタへと脱線してしまう。
思い出すのよ、あの日あの瞬間のシアターコクーンを!
ああラベンダーの香り!(それは時をかける少女だよっ)

「キレイ」(作・演出=松尾スズキ、出演は鈴木蘭々高岡早紀阿部サダヲ片桐はいり橋本じゅん宮藤官九郎大浦龍宇一松尾スズキ秋山菜津子岡本健一ほか)は。

一言で表現するならば‘螺旋’のようなミュージカルだった。
夢枕獏氏の「上弦の月を喰べる獅子」に出てくる螺旋と同種類の。

物語は複雑な要素が幾つも絡み合っていて説明が難しい。
主人公は誘拐され10年間監禁された少女である。
といって、暗く重たいだけの話ではなくむしろ全体のタッチは明るく軽い。
何せミュージカルだ。ただしタモさんでもこれなら見られるだろうと思われるタイプの。

主人公ケガレ(蘭々)は17歳となり地下室から脱出、戦時下(架空の日本)でカネコ一家に拾われ逞しく生きていく。
自分をいつも監視するかのような【神様】の視線と、【犠牲】という言葉に怯えつつ‘儲かるか損するか’を判断の軸に据えているケガレが成長してやがてミサ(大人になったケガレ=高岡)になるのだが、舞台上にはケガレとミサが同時に存在するシーンがかなり多い。

ケガレに語りかけるミサ。
ミサの頭をなでてやるケガレ。
お互いに目には見えていないのだが、過去と未来が濃密に螺旋状につながっていることを瞬時に納得させる演出であり、お互いを探りあい労わりあう様子にカウンセリングを受けているような感覚に陥ったのは私だけー?(お前はだいたひかるかっ)

抑圧された自己、忌まわしい過去や罪の意識、分裂する人格。
程度の差はあれ誰にでも潜む深層心理を描くと同時に、戦争が作り出す喜悲劇をたっぷり見せてくれる舞台だった。

続く