「歌わせたい男たち」を観た その5

戸田さんの歌声は深く澄んでいた。
華奢な身体のどこにそんな力が潜んでいるのか?と思うほどによく通る声で、美しくて温かい歌を心を込めて歌ってくださった。

こんな歌が国歌だったならばいいのに。
ついそう思ってしまうほどに素晴らしい歌だった。
勝手に落ちてくる涙を拭うこともできず、目の前(手を伸ばせば届くところ)で歌う戸田さんを直視することもできず、それでもきっと今この瞬間は永井さんとも役者の皆さんとも気持ちが通じているのだと確信しながら聴き入っていた。

ミチルの歌を聴いてそっとテーブルに眼鏡を置く拝島(近藤さん)。
その姿は主義主張を曲げることを意味している訳ではないはずだ。
(近眼のミチルはどさくさでコンタクトを割ってしまって楽譜がきちんと見えず、同じく近眼の拝島に伴奏のときだけ眼鏡を貸してくれないかと頼んだのだが「国歌を弾く人には貸せない」とはねつけられていた、という経緯がある。)

主義主張も立場の違いも超えて、友人として。
拝島が「多様な異文化」を認めた瞬間。

絶対に正しい人、なんていないはず。
絶対に正しいやり方、なんてものもないはず。
歌いたい人も歌いたくない人も歌わせたい人も歌わせたくない人もいる。
すべての多様性を呑み込み混沌のままでいいんじゃないのか、日本は。
甘いと言われようとも、そんな子供じみたことではこれからの世の中で通用しないと非難されようとも、時間をかけて話し合えばいいじゃないかと強く強く思う。

実はずっとTriangleとPiece of worldをエンドレスリピートしながらこれを書いている。
メッセージがリンクする。
こうやってまた私は巫女化する。

はっ。
長くなると話がついついスマネタに…いかんいかん、もう少し芝居のことを語りたいのに。

そうして泣いてしまった私だったが、スッキリして忘れ去ったわけではない。「考え続けよう」と思いながらカーテンコールの拍手をした。
この芝居を観られたことを感謝しつつ、出来るだけ多くの人にこの芝居を観て欲しいと願いつつ。

ふと客席を見渡すと意外なほどに年齢層が高い。
つい先ごろ観た「七人の恋人」なんてもしかして自分が最も年嵩か?というくらい若い人たちで溢れていたのに。

10代、20代の人たちにも観て貰いたい作品なんだけどな〜。
こういうのも、いいですよ〜。って何処に向かって言えばいいの〜?

続く