「12人の優しい日本人」を観た その2

「まったく人間ってやつは」

そんな感慨を抱く時、性善説性悪説では区分けできないグレーの部分をいつも懇切丁寧に、チャーミングに皮肉っぽく、常に温かみを忘れず描いてくれる三谷作品だからこそ単なるコメディには終わらないわけだ。

仕切り屋に理屈屋、頑固な人にちゃらんぽらんな人、空回りする人と上手く立ち回る人、自己主張型に付和雷同型。
少しずつ誇張して描かれたキャラクターの可笑しみは「技術点・満点!」と称えたくなる。
それぞれの人物に「背景」があることを感じると「表現力・満点!」と拍手したくなる。

どこにでもいそうな彼ら彼女らが「人を裁く」ことの難しさを、その技術点と表現力のために自分のこととして受け止めることになり途中から私は‘笑いながら唸る人’と化した。

人しか人を裁けない、という劇中の台詞があった。
現実問題としてそれはそうだ。
しかしそれは逆説でもある、と思う。

人しか人を救えない。
それはドラマ「野ブタ。をプロデュース」に出てきた台詞だ。
現実問題として救うことは裁くことと同じように難しいけれど。

救うのも人なら傷つけるのも人。
裁くのも人なら裁かれるのも人。
騙すのも人なら信じるのも人。

まったく人間ってやつは。
そう思うと笑いながら唸るしかなくて。

三谷さんご自身はパンフレットの中でこう仰っている。
「僕はこの作品で、日本における陪審員制度の是非を問うつもりはありません。(中略)僕は自分の主張のために芝居を利用するのは好きではありません」

なるほど。
この作品はあくまでもコメディでありミステリーでありエンターテイメントとして書いたと明言してもおられる。

ただし…と始まる締めくくりの文章には感動を覚えた。
やはり人を救えるのは人しかいない。
ミタニン、一生ついていきます。

ミタニンつながりで来年の組!続編について少し。
TVナビ特別編集号を買った。
快速!新選組!!サイトも、源さん&監察方山崎&ウルフ吾妻のHPなどもちょくちょく覗いている。
つまりは待ち焦がれている。
でも本当に終わってしまうのが寂しくもある。

いまだに特別な大河ドラマだ。
あまりに特別すぎて今年の大河が見られなかったくらいに(結構大河フリークなのに)。

ミタニンってば罪なお人。
それが、私が考える「三谷幸喜の罪」ですわね(パンフにそんな設問があったもので、フフ)。