「嫌われ松子の一生」を観た

(↑の日記から続く、ネタばれ注意)

主人公・松子の転落人生のキッカケがあまりにも愚かしく浅はかなので、最初は‘中谷美紀キレイだなぁ’とは思っても松子という女性に殆ど思い入れができなかった。
それが途中(服役してくるあたり)から胸の中に松子の気持ちが容赦なく流れ込んできて、ただひとこと欲しかった言葉を得られずに儚い笑顔で去っていく彼女が愛しくてしょうがなくて。

中島監督という人は女に女を惚れさせる天才なのだろうか?
最初はあまりにも極端で突飛な同性と思わせておいて(つまりは油断させておいて)、その中に潜む普遍的な哀しさや切なさや可笑しさや強さをある瞬間からグイグイとねじ込んできて、気付いたらどっぷり感情移入。

私がヤッスイ客なのかもしれんが(苦笑)。

松子は悲惨なエピソードの数々にも関わらず相当にユーモラスに描かれている。
敢えて選んだ三枚目の路線、というのとはまた別に彼女がもともと持っているおおらかさや妄想癖(ここだけはご同類!)が観る側の救いとなる。
美化された良々には吹いたっすよ。

それにしても松子はいいおかーちゃんになっただろうになぁ。
物語の中の人に対してそんなことまで思うのは変かもしれないけど。
貧乏でも歌の絶えない楽しい家庭を築いて、ダメ親父の尻を叩きながら子供をどやしつけながらも、枯渇することのない愛情ですべてを包めただろうに。

父親との関係がもう少し違ったものだったら、きっと人生がかなり変わっていたはずだ。

そんなことを考えると、やはり家族か…と内臓がちと重くなる。
家族ってやつは。
全部の根っこになってしまうからなぁ、と。

フワクになっても育った家庭による侵食は計り知れない。
一生逃れられない枷のようなものもあれば、とてつもない恵みもある。

現在コドモ(ドラ・息子・仮名)を育てている自分自身が、これから先ドラの一生に及ぼす影響というものを真面目に考えると正直いって怖気づく。

何しろ単純に「おかえり」と「ただいま」を大事にして、「普通」の家族でありたいと思う。
それ以外出来ようがないからな、ボンクラなダメにんげんだし。

映画の後に、そんなことを考えた「嫌われ松子の一生」であった。
エンターテインメントとしても上等!
受け付けない人は徹底的にアカンでしょうけど、好きな人ははまること請け合い。
(そらーなんでもそうかー?)