吾輩は悩んでいる その4

他人が嫌がることをしてはいけないという教育は、家庭だけではなく学校でもするべきものであろう。

そして「気持ちを口に出すこと」の大切さも、ゆっくりと教えていかねばならないことで…これは大人になってもなかなかに難しいことでもあるのだが、それでも根気良く習得していかねばならないことだと吾輩は考える。

あまり心配しすぎて過保護なのもどうかと思う。
しかし心配はする、それが親というものだ。

外で何があっても家の中では安心できる、心から寛げる…という環境を整えることが吾輩の一番の役割だと頭ではわかっていても、それを実行するのも容易なことではない。
オタンチンパレヲロガスな吾輩が、理想的な母親に一朝一夕でなれようはずもない。
しかし努力はする決意だ。

…そんな吾輩の気持ちも知らず、一連の出来事を聞き終えた家人は冷たい口調で吾輩にこう言い放った。

「息子の話を傾聴せよ」

仰ることは正論だ、しかし物には言い方というものがある。

できるだけ客観的に話そうと努めたことが仇になったのかもしれないが、家人は吾輩が‘心配していない’‘たいしたことだとは思っていない’と感じた節がある。
だから家人ばかりを責めるわけにもいかない、しかし。

しかし、吾輩がどれだけの時間をかけて息子と向き合っていると思うのか。
聞きたいと思うことよりも話したいと思うことを、矢継ぎ早にとめどなく繰り出してくる息子の言葉の中から大事なメッセージが紛れていないかどうか、探り出すことに苦心していないとでも言うのだろうか。

いや、吾輩はいささか負の思考に陥っているに違いない。
家人が悪いわけではない。
彼とて、毎日の激務と人間関係の心労で疲れきっているのだ。

そうだ、吾輩は母としてだけではなく妻としても安らぎの場所たらねばならんのだ…。

そんなことがこの不出来な吾輩に果たして出来るのだろうか。
とにかく、吾輩こそ家人に「気持ちを伝える」努力を欠いていたのかもしれないのだからして…自戒せよ、反省せよ、猛省せよ、吾輩!

猛省するあまり、吾輩になってしまったスミコである。
果たして元の、ミーハースミコに戻れるのであろうか。
こんなときだからこそ吾輩の中にミーハースミコを取り戻すべきなのかもしれないのだが…。

吾輩はもう1つ悩んでいる。
HDDの容量を26時間分なんとかしなければ。

…あ、戻った?

終わり