大人の宿題 その1

先週、ドラ(息子・仮名)が学校から「お手紙執筆のおねがい」を持って帰ってきた。
なんのこっちゃ?と読んでみたところ「保護者の皆様に、お子様の誕生から現在に至るまでの出来事やおうちの方々のお気持ちなどを書いていただければ」ということだった。

相次ぐいじめや自殺の報道の影響もあってか「道徳の学習で生命の尊さについて考えて行きたい」「生命を大切にする心情を育みたい」「自分が存在することのすばらしさを感じられれば」等と記されていて、それは大変に意義のあることだからじっくり取り組まねば…とズボラスミコにしては珍しく宿題に奮闘した数日間だった。

6才のドラにも分かるように易しい言葉で、色々なことを噛み砕いて大きな文字で書いていたら相当に長い手紙になってしまい「これは嫌がられるかなぁ」と懸念。

昨日の夕方、8割方書きあがった手紙をドラが読みたがるので見せてみた。
最初はケラケラ笑っていたのに、途中からポロポロ涙をこぼし始めたので驚いた。
泣かせるようなことを書いたつもりはまるでなかったんだが。
「どうしたの?」と聞くとただ顔を横に振って涙を拭いている。
何かを感じ取ってくれたのなら、ない頭をひねって書いた甲斐があったというものだ。

ドラが寝たあとになんとか最後まで書き終えて封にいれ、今朝「お手紙はランドセルに入れておいたよ」というと「また泣いちゃうかな?…カンドウして…」とつぶやく。
カンドウ!
感動してくれたんかい、ドラ。
そりゃこっちが感動するよ、ありがとね。

手紙を書きながら改めて感じたことは、親というものは子供に数々のことを望むものだけれども、とにかく子供が元気に生きていてくれれば本当はそれだけで幸せなんだなぁということだった。

「元気」というと語弊があるかもしれない。
生まれつき身体の弱い子供もいる、障害を抱えた子もいる、それでもその子供がまっとうな心持ちで毎日を生きてくれればそれが親の支えにもなるのだと思う。

普段の生活ではついそんなことを忘れて「もっと○○がうまくできたらいいのに」なんてことを思ってしまうダメ母スミコだ、これからも日々是精進せねば。
まだまだ「ママ」になって日が浅く(年だけはくってるが)、ママ業の奥深さに眩暈を感じることもある。
しかしドラのおかげで「ママの修行」をやらせてもらえるのだ、めげてはおられないでがんす。

続く