見てから読む派?

その昔「読んでから見るか、見てから読むか」というキャッチコピーがあった。
基本的に私は‘読む’のが好きで、好きな原作が映像になるとガックリすることも多かったので「読むだけで見ない派」を自認していた。

ところが最近やや傾向が変わってきた。
「見てから読む」本がじわじわと増えているのだ。

華麗なる一族
・ハゲタカ
黒龍の柩(これは新撰組の話で、04大河の原作ではまったくないのだがあの大河がなければ読まなかっただろうから、まぁ一応このくくりに入れる。)

そして気付いた。
以前は「読む」ことで広がった自分なりのイメージを、「見る」ことで損ないたくない気持ちが強かった。
しかし近頃では「見て」面白かったものを更に「読んで」イメージを増幅させる楽しさに嵌っている、という事実に。

妄想族の新たなる楽しみとも言える。
なんせドラマでは触れられなかったエピソードや会話が、本を読むことでどんどん新しいシーンとして足されていくのだからたまらん。

映像には存在しなかった登場人物は、勝手に脳内キャスティングする。
こんな会話はあのドラマにはそぐわないなと思えば、そこはディレクターズカット(誰がディレクターだよ…)しつつ読む。
ドラマのキャラクターとズレを感じる場合は、その人物だけ別物として捉える。

実にいい加減で都合の良い妄想&イメージING読書(なんじゃその造語)で、これはひょっとすると特技といってもいいのかしらん?などと思ってみたり。
人には説明しにくい特技だけど。

次に狙っているのは「博士の愛した数式」だ。
前から読みたかった本でもあり、先日TVで放送されていた映画が想像以上に良かったのでこれは是非とも読まねば。

まったく関係のない話。
相変わらず我が家のドラ(息子・仮名)は質問魔である。
ニートって何」
「一っていう字はほかになんて読むの」
「よんぶんのよんびょうしのよんぶんって何」
「灯油をガソリンの代わりに車に入れたらいけないのはどうして」

多岐にわたる質問内容に時々焦ったりしながらこちらも頭の体操をする。
でも常に真正面から答えていればいいというものでもない。

歌丸師匠が「円楽さんには立派な種馬になってもらいたい」と言うのを聞いたドラは案の定「種馬って何」と私に訊ねた。

だから時々わざと質問を受け流すようにしているのだ、ふっ。
ずるいかなー、ふっ。