青山劇場で「キャバレー」を観た その2

一夜明けて振り返ってみると、彼女の台詞も歌も動きもまだ100%舞台向けになりきっていなかったように思う。
ラストの「キャバレー」は衣装含めて素晴らしかったが。
うーん、すっごく惜しい。

そんでもってそんでもって(何故語ろうとするだけで気持ちがこんなに弾むの〜?)、森山未來くんですよー、うふうふー☆(何故名前を書くだけで頬がこんなに緩むの〜?)えへえへー☆
これまでもTVでは彼が演じる姿を見たことがある。
顔というよりも全体の雰囲気がなーんか好きなタイプだし、演技もうまいなぁとは感じていたが、こんなにツボをついてくるお方だったとはッ!
何がいいって立ち居振る舞いがええんでがす!身のこなしが軽やかで音楽を奏でるような美しさがあるんでがす!
芝居中に私の席の真横をスーッと通っていった森山くんを直視できなかったのは、ヤバイこりゃ落ちる!と思ったからでがす!
ああ久しぶりの恋のヨ・カ・ン☆
(あくまでも恋であって愛ではナイの、ほんとよ信じてすまっぷー。だけどなかなか会えないと浮気の一つもしたくなるのよ、すまっぷー。とかいってこないだの日テレZEROに生出演してた中居さんを見て「んもうやっぱりこのひとがすきー!」って胸の中で絶叫したのよ、すまっぷー。)

いかんいかん、タイプの男に目がくらみ舞台そのものの感想を書かずに終わるところだった。
原作バージン(そんな言葉作るなや…)なため、どういったところが松尾スズキオリジナルなのかはわからない。
しかし動かしようのない主軸は、恐らく原作と同じなのだと思う。
個人としてみれば愛すべき人々が何らかの思想・洗脳によって激変する怖さ、勢いを増してうねる流れに必死でもがく人、流れがまるで見えない人、見えていないフリをする人、どうしようもなく巻き込まれていく人…そんなすべてを嘲り突き放すように見えて包み込むなにものか。
それは猥雑な母性のようなもの。
(果たして私は映画のライザ・ミネリに猥雑な母性を感じるだろうか。ぜひ観てみたい。)

重いテーマではあるが、それぞれの役者さんたちが生き生きと歌い踊る姿は躍動感と生命力に満ちており、サービス精神旺盛な演出家とキャストに心ゆくまで楽しませていただいた。
笑えた・楽しかった・面白かっただけで済ませられない楔も胸に残っている。
ありきたりだけども、松尾スズキよありがとう…なんてつぶやいてみる秋の日。

おまけに続く