ビューティ・クイーン・オブ・リナーンを観た

渋谷パルコ劇場にて、今年最後の観劇。

マーティン・マクドナー作「ビューティ・クイーン・オブ・リナーン」、演出は長塚圭史、出演は大竹しのぶ白石加代子田中哲司長塚圭史

リナーンというのはアイルランドの地名である。
社会的にも色彩的にも精神的にも閉ざされた場所で暮らす母娘の、濃くて濃くて濃い愛憎劇を名女優二人が演じるのだから面白くないはずがない。
まさにがっぷり四つに組んだ横綱同士の大相撲だった。

だから内容は非常に凄惨で救いがないのに、観終わったあとにマイナスの感情が残らないという見事さで、作品にうってつけのキャスティングと卓越した演技力と緩急をつけた怜悧な演出に感動を覚えた。
ブラックユーモア満載で笑う場面も多かったが、本質的に怖いのは「密室の母娘」が主題であるからだろう。

年老いて体の自由が利かないけれど口だけは達者な母親が、娘を束縛し支配しスポイルしつづけた結果…
土地柄も社会的状況も手伝って精神の逃げ場を失った娘が、我侭な母親を恨み続けた結果…

それは悲劇に導かれて何の不思議もない道筋ではある。
だがそれ以前に、母と娘というのは厄介なことこの上ない関係なのだ。

友達みたいな母娘…なんてものがたまにメディアに紹介されたりしていると私は思いっきり「ケッ」と毒づいてしまう。
実際にそんな母娘もいるのかもしれないが。
母娘に限らず肉親なんてものは規則正しく流れる護岸工事のされた小川ではなくて、澱んだり濁ったりせせらぎになったり急流になったりする野生の川みたいなもんだ…と思う。
この芝居の母娘ほどではなくても、濃密な関係性に息が詰まったり近親憎悪に陥ったり、家族の数だけ苦悩もあるんじゃないだろうか。
悲観的すぎるだろうか。

濃密な関係だからこそ学べる知恵もあるはずで、しかしボタンの掛け違いがどうしようもない軋轢を生むこともあって、もがきながらでも泳ぎ続けるしかない川をどう泳ぐか(或いは溺れるか)が問題なのではないか…と考えると、リナーンの母娘は異国の家族(しかもフィクション)だなどと涼しい顔で言えるわけはない。

どろどろで厄介な川でも、滋味に溢れいい魚が育ち心地よい川風が吹くこともある。
そうだな、せめて風通しはよくしておかないと川が死ぬんだろうな。
気をつけよう。

独りよがりな観劇メモで失敬しました。
しっかし好きだー長塚圭史