「瞼の母」を観た その1(ネタばれご注意〜)

世田谷パブリックシアター シス・カンパニー公演)
作・長谷川伸 演出・渡辺えり 出演・草なぎ剛大竹しのぶ三田和代高橋長英篠井英介高橋克実市川ぼたん、梅沢昌代、神野三鈴、高橋一生ほか

瞼の母」という題名は耳にしたことはあったが、これまで原作を読んだことも芝居化されたものを観たことも一度もなかった。
古臭くてお涙頂戴ものというイメージが自分の中ではあり、つよぽんが主演でなければ食指の動かない題材であった…と書いてしまうと身も蓋もないが、正直なところ「なんでまたこの作品がいま選ばれたのだろうか?」と思っていた。

観終わったあとに、その疑問がすべて解消されたわけではない。
なぜ瞼の母を、なぜ剛で?

パンフレットに演出の渡辺えりさんがこんなことを書いておられた。

『現代の今、いるのにいない母親が増え始め、人々はますます母親を探し始めている気がする。正義を教える父もなく、愛を教える母もない。子供たちは抱きしめられたり、叱られたり、許したりしてくれる母親を探している。それは青年も中年も、そんな愛情を求めながら得られず、自立することもできず、ただただ彷徨っているような人間が増えているように思う。生活の豊かになったこの国での「愛」とは何か?精神の自律とは何か?この作品を通して再び考えてみたい。』

ふむ、それはわかる気がする。
しかしなぜ剛で?(しつこい?)

剛には和のいでたちが非常に似合う。
浴衣も股旅姿も着流しも本当によく似合う。
彼が忠太郎として舞台に登場した瞬間、心拍数が上がりまくった私だ。
ひそかに心配していた滑舌も良かったし(堤さん、芝居中は大事なところでかんでなかったですよっ!)、殺陣もキレがあったし(ツヨシはダンスやってるからねーBYユースケ)、忠太郎が命を狙われるシーンは「しむら、うしろうしろ!」ばりの真剣さで敵の存在を教えたくなったりした私だ。
カーテンコールの二回目、やっと彼が忠太郎から剛の顔に戻ったのを目にしてこっそり身をよじったのも私だ。

だから、なぜ剛で?というひっかかりを最後まで完全に払拭できなかったのは我ながら妙なのである。
おそらく、今の剛でもっと他の作品を観たいというのが本音なんだと思う。
単に自分の好みの問題なんだけど。
役者さん達も(一人浮いてたお嬢さん以外は)盤石で、良い舞台ではあったんだけれども。

続く