母のこと(その3)

元々とろいことは自認しているが、ここまで自分が動けない人間だとは情けなかった。
もしかするとなんだかんだと言い訳をつけて、グズグズしていたのかもしれない…おかしな心理状態だが、すぐに行きたいけど行ってしまうとすべて終わってしまうのでは?と危惧するような…。

最寄り駅からリムジンバスに乗り羽田に着いて、10時半発福岡行きに搭乗。
直前に姉にメールで便名と時間を知らせ、携帯の電源を切る。
福岡空港に着いたのが予定より少し遅れて12時半過ぎであった。
すぐに携帯をオンにすると姉からのメールが届いていた。

「血圧が下がっています。空港に着いたらタクシーで来て下さい」

間に合わなかったらどうしよう、どうすればいいんだろう、あんなにぐずぐずしてしまった私のせいだ…。

その時の気持はそれ一色。
「今宿のS病院まで、出来るだけ急いでください」とタクシーの運転手さんに告げて、姉に「今向かっている」とメールを送ったのが12:41。

すぐに「まだ大丈夫だから落ち着いて」という返信が来た。
お守りのように携帯を握りしめてタクシーの後部座席にうずくまっていると涙があとからあとから湧いてくる。
高速道路を凄いスピードで走ってくれたタクシーの有難さもその時はよくわからず、次々に隣のレーンの車を追い越していた車窓からの風景が夢のように思い出される。
ラジオでは中川大臣辞任のニュースが流れていた。

S病院に着いたのは13時前後だったと思う。
3階でエレベーターが開いた瞬間に父と義兄の姿が目に入った。
マスクをつけ手を消毒するのももどかしく病室へ。

機械をあれこれ装着され横たわっている母がいた。

「お母さん、遅くなってごめんね!」
耳元で言って、右手をさする。ちゃんと温かい。

私の言葉に反応したかのように、下がり続けていた母の血圧がそのとき急激に上がった。
意識はまったくないのに、それでも母は待っていてくれたんだと思う。
私が来るまで、頑張って頑張っていてくれたのだと思う。
最期に間に合わなかったら、私がどんなに自分を責めるかということを、きっと深いところでわかっていてくれたんだと思う。

げにありがたきは…。

だが血圧はそのあとまた下がりはじめてしまった。
ゆっくりとゆっくりと数字が小さくなっていく。
測定できないほど微弱な血圧に変わりゆくのに何もできない。

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