母のこと(その4)

母の枕もとには、父と姉と義兄と私がいた。
いよいよ心拍も弱まってきてしまい、父が涙ながらに声をかけた。
「母さんよく頑張ったよ。お疲れ様。本当によく頑張った。もう頑張らなくていいぞ」
姉も「お母さん、もう頑張らんでいいよ」と優しく優しく母に言う。

根性無しで弱虫の私だけが『頑張らなくてもいい』と口にできず、さりとて『頑張れ』とも到底思えず、黙って髪を撫でていた。
父と姉の言葉に安心したように、母の心拍は低下を続ける。
「お母さん、ありがとうね。なんも心配せんでいいけんね」それだけ言うのがやっとだった。
父も姉も義兄も、何度も何度も「ありがとう」と言っていた。

産んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
濃すぎるくらいの愛情をありがとう。

倒れてから一度も意識を取り戻さずに、母は亡くなった。
2月17日火曜日、14時27分頃のことだった。
生前あんなにおしゃべりだった母が、何も語らずに逝ってしまった。

きっと本人が一番面食らっていたかもしれない。
倒れた時のことをなんにも覚えていないのよ…そんなことを去年の夏、本人が言っていた。
私はどうして倒れちゃったのかしらね。
どうしてだろうね、お医者さんによく調べてもらってよ。
そうね、でも脳を色々と診てもらっても原因がわからないって言われたのよ。
そんな会話を去年7月に母と交わした。

何も言い残さず静かに眠るような顔をして逝った母は、せめてほとんど苦しまなかったと信じたい。

「一過性脳虚血発作」
それが母の倒れた原因だった。
倒れた時の状況が悪くて死に至ってしまった、誰にとっても唐突過ぎる出来事だった。

1月24日に74歳になって一か月も経っていない。
誕生日に「おめでとう」の電話をかけたのが母と喋った最後になってしまった。

長患いをしなかったことは本人にとっても家族にとっても有難いことともいえるのだけど。
私自身、そのように死ねることを望んだりもしてしまうけれど。
家族に見守られての最期は幸せだったかもしれないけれど。

ちょうど二週間経った今でも、私は福岡に母がいる気がしてしまう。
電話をしたら元気な声で出てくれそうな気がしてしまう。

きちんと葬儀も済んだというのに…。
まったく、行動だけでなく頭の中までとろいのだから我ながら呆れる。

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