母のこと(その5)

思い出しながら書くとどうしても追体験してしまい、目に汁が。
誰もが通る道なのだし最期に間に合ってお別れの時間もあったのだし、決して自分を憐れんだりはしていないのだが…飛行機で福岡に向かった日のことが遠い昔のように思えたり、母の手をさすっていたのがつい先ほどに思えたり…。

母は左手薬指に指輪をしていた。
本物かどうかわからないけれど小さな赤い石が金色のリングで縁取られていて、デザインが若々しく可愛らしい。
病室でそれを目にしたとき、母らしいなぁと感じた。

(とてもじゃないけど74歳の女性に相応しい指輪じゃないよ、お母さん。)
(でも可愛いものが好きだものね、気に入ってたもんね。)

去年うちに来た時にあれもあげるそれもあげる…と言っていた中に、この指輪も入っていた気がする。
私はその時「何にもいらないって。宝石とかの欲がないのよ、ホントに」と断りまくって、それでも…と置いて行ったルビー?のペンダントすら引出しにしまいこんで存在を忘れていたのだ。
「形見だと思って受け取って」と言った母の言葉が今になって響く。
もっと喜んで見せればよかったものを…。

いま、私の左手中指にその指輪がある。
亡骸を清めて下さった看護師さんたちが母のハンカチとともに渡してくれたのだ。
隣にいた姉から「あんたがもらっときなさいよ」と言ってもらい、はめてみるとすぐ指に馴染んだ。
左手だけ見ていると母の手がそこにあるようだ。

亡くなったことを夫に知らせる。
携帯がつながらず短いメールを書く。
すぐに電話がかかってきて、あとのことが決まったら知らせてくれ…と言われたが電話の向こうで大将も泣いているのがわかった。

まーちゃん、まーちゃん、と大将のことを可愛がっていた母だった。
私が出産した時、しばらくうちでドラの世話をしてくれた母が子守唄を歌うと、ドラよりも早く眠ってしまう大将を見て愉快そうに声を押し殺して笑いこける母だった。
本当にまーちゃんはいいね、あの「はいっおかあさん、なんですか?」という明るい声がいいね。
いつもそう言っていた。

大将もきっと、そんな母を好きでいてくれたんだろう。

義兄も臨終の枕元で物凄く泣いていた。

いい時ばかりではなかったのに、義理の息子たちにもしっかりと愛されていた母を誇りに思う。

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