母のこと(その6)

葬儀のことなどは父と義兄がしっかりと手配してくれ、間もなくT斎場の車が病院に到着した。
看護師さんたちに薄化粧をしてもらった母と共に斎場へ。

遺族控え室に案内され、係の方と一緒に母を抱きかかえて白い布団に寝かせると本当にぐっすりと眠っているだけに見える。
うちに来て泊る時と似たような浴衣姿だったからかもしれない。

しかし情緒的になっている暇?はなく、葬儀の打ち合わせが始まった。
細々としたことを次々に決めていかねばならず、父・義兄・姉と4人で葬儀社のYさんに説明を受けたり質問をしたり、内心では「このタヌキおやじめ」と思ったり(!)。
(Yさんにはお世話になっておきながらこんなことを書いて申し訳ないかしらん。悪い人じゃなかったんだけど。なんというか、あまりにも営業心が透けて見える瞬間があって、それは仕方ないことなんだけどちょっと鼻についたというか…すいませんすいません。でも最終的には「そんなに嫌な人でもなかったね」と姉や義兄とこそこそ笑いました。)

打ち合わせの結果、お通夜が翌18日で告別式が19日と決まる。
御導師様は篠栗南蔵院のお坊様にお願いすることとなり、夕方には枕経を唱えにいらして下さった。
仏教の高校を出たためかお経は懐かしく温かく有難く感じられる。
枕経の後、お坊様が「お母様のことを聞かせてください」と静かに仰った。

父と姉と三人で断片的な母の面影を語る。
明るくて話好きで面倒見がよくて純粋で、歌うことも音楽を聴くことも映画を観ることも好きで、よく笑い感情が豊かで…。

「お優しいお母様だったのですね」
私たちの言葉を受け止めてお坊様がほほ笑む。

このときは認識していなかったが、その短い会話だけでお坊様は素晴らしい戒名を母に授けて下さったのだ。
翌日、お通夜でのお経を耳にしながらふと目にした戒名を見て、私はまた涙が止まらなくなってしまった。
それはまた明日にでも…。

お坊様がお帰りになり、再び打ち合わせ。
これからやらねばならないこと、準備するもの、様々な段取り。
ほとんどビジネスモードで対応する感じである。
落ち込んだり泣いたりしていられないのが慌ただしくもあり有難くもあり。

とにもかくにも親類縁者に知らせなければならない。
それから棺に一緒に納めたいものがあれば…と言われ、いったん両親の家に行くこととなった。

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