母のこと(その7)

そして他にも、姉と私にはやらねばならない大仕事があった。
家の片づけである。
恥ずかしながら、両親ともに片付けが苦手な上に物持ちが良く(というよりも何も捨てられない性分)、父と母二人で5LDKのマンションに住んでいたのにどこにも空いたスペースがないという…私もまったく人のことを言えない片付け下手だが、その上を行く実家の有様であった。

葬儀社のYさんから「告別式の後に簡単な祭壇を設置しにお宅まで伺います」と言われたこともあり、とにかく人が通れるスペースを!そして祭壇を置き49日法要まで骨壺や遺影を安置できる部屋を!と大わらわ。

いやー、人間やれば出来るもんです。
なんとかリビングに人をお通しできる体裁を整え、和室のひとつを急ごしらえながら仏間のように変えられた。
他の部屋はまだしっちゃかめっちゃかだったが(お母さん、暴露してすまん!)とりあえずなんとかなりそう…というところまで到達。

父はずっと親戚や友人知人に電話連絡である。
あまりにも急なことだったので、皆様かなり驚かれショックを受け言葉を失っておられたようだ。
おひとかたずつに詳しく事情を話し、父もさぞや疲れたことだろう。

しかし気が張っていて、その時は誰も疲労感がなかった。

姉と二人で、次は棺に納めるものを探す。
貴金属や本類はダメ…とのことだったので、母が愛用していたスカーフ2枚とお気に入りの帽子を選ぶ。
装身具もひとつ場所ではなくあちこちに点在していたが(またしても暴露してすまん!許してかーさん!)、これとこれとこれ…と楽に見つかった。
葬儀に来てくれることになった親戚の女性3人に、母の形見を何かお渡ししようか…と姉と話して、その3点も不思議なほどスムーズに決まった。

もともと姉と私は趣味と感性がわりと近いほうだと思う。
それにしても、このときの「これはあの方に。こちらはあの方に。」という確信の持ち方は独特だった気がする。
いうなれば母の意思のような…そう思いたいだけかもしれないけど。

何の準備もしてこなかった私は、母のブラックパールのネックレス(本物か模造かは不明)を使わせてもらうことにした。
これも「はいどうぞ」といわんばかりにすぐに見つかった。

それどころか、遺影にする写真を探そうとしたら布団の上に開いたアルバムがあったのだ。
その中に、とてもいい笑顔の母がいた。

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