母のこと(その8)
その写真は6年前、両親と一緒に修善寺に行ったときのものだった。
(たぶんこの日記にも多少はその時のことを書いたと思う。)
竹林で父と並んでにっこり笑う母。
それを写したのは大将だったか私だったか。
ドラはまだ3歳だった。
「この写真、いいんじゃない?」
私が言うと父も姉もすぐさま賛成してくれた。
「このアルバム、たぶん(亡くなる)前の日だかに見てたんだよ」と父。
そして最近母さんとこんな話をしたんだ…と打ち明けてくれたのが、お葬式でかけてほしい曲のことだった。
まさか予感がしたわけでもないだろうが、なんともタイミングが合いすぎて不思議だ。
「平原綾香の、ノクターンだったかな、あれがいいって言ってた」
多分倉本さんの「風のガーデン」を母も見ていたんだろう。
父は母のために、急遽CDを作った。
(普段からPCを使い慣れている父なのでそのような作業はお手の物。)
平原綾香の「ノクターン」「明日」「JUPITER」を繰り返す、約60分のCDである。
JUPITERが流行った当時、私はあまりこの曲を好きではなかった。
原曲であるホルストの「惑星」が大好きなだけに、これに歌詞をつけて歌うなんてちょっとズルイ…という気がしたのと、あまりにも正しい感じがしたせいだ。
でも今回、この三曲を特別な場所で特別な想いで聴いたために、平原さんの歌も声も特別なものになった。
それにしても、そんな会話をねぇ…。
ちゃんと父が希望を叶えてくれて、良かったねぇ。
ささいな喧嘩もよくしてたけど、仲の良い夫婦だったものねぇ。
まだ姉も私も両親と一緒に暮らしていた頃、母はよく私たち姉妹に自慢していた。
「お父さんみたいな男の人はそうそういないわよ」
はいはいそうですか、そうですねー、と呆れながら私たちはこっそり羨ましく思ったものだ。
感情の起伏が激しくもろいところのあった母は、いつも父を頼りにしていた。
勿論父も母を頼みに思っていただろうけれども、父に先立たれたら母はどうなっていたかと想像すると…最愛の父に送られて、母はホッとしているような気もするのだ。
どうかな、お母さん。
冗談じゃないわよ、私はお父さんより長生きしてもっとあれもこれもしたかったのよ、でもまぁしょうがないわね。ケセラセラよ。
そんな風に母が言っている気もする。
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