母のこと(その11)

2月18日(水)

この日は14時に身内だけで納棺、そして18時からお通夜と決まっていたので午前中は父の家で片付けをしていたと思う。
(17日だけで片付けたようなことを↓に書いてしまったが、そんなわけはないな…既に記憶が曖昧だ。しかし私は記憶にございませんなんてとぼけたことを言う政治家と違い、本当に記憶力が弱っているのでどうかお許しを。)

大将とドラはそれぞれ会社と学校を忌引きし、朝から福岡へ向かっていた。
お昼過ぎに斎場で二人と再会。
博多駅で美味しいラーメンを食べた」と嬉しそうなドラ。
「俺の分まで食いやがった」と悔しそうな大将。
こんなときまで食いしんぼうな夫に息子…。

こちとら食欲がなくて(しかも食事を用意しているような時間的・気分的余裕がなくコンビニ弁当続きなので尚更食べる意欲がわかない)、甥っ子たちなど胃腸の調子が悪いままなのに。
まぁいいか、神経が太いタイプ(食の面だけで決めつけるな!笑)もいないと困るから。

そうこうする間に14時となった。
父・姉夫婦・甥っ子二人・大将とドラと私の8人が見守る中、Yさんが母の浴衣の上から丁寧に真綿で着物を形作っていく。
純白と薄桃色の綿はふんわりと母を包み、半襟帯締めも付けてもらって優雅な着物姿にかわる。
地方によって、或いは宗派だとかもっと言えば斎場によってもこの装束や手法はかなり違うのだろう。

ここまでYさんが手際よく一人で整えて下さった後、「ではご家族が二人ひと組になってお手伝いして下さい」と促された。
といっても足袋や脚絆などのひもを結んでいくだけなのだが、母の旅支度を皆で少しずつ手伝うのは意味深いものだと感じる。
そしてその姿で、母は布団から棺へ…まさに「納棺」なのであった。

朝から準備が進んでいた祭壇は美しい花々で彩られ母の遺影も飾られて、その場は芳しい香りで満ち溢れていた。
そういえば、この祭壇のデザインも多種多様なものの中から決めなくてならないのだが、100枚くらいある写真の中から姉と私がすんなり同じ一枚を選ぶことができた。
そのイメージ通りの、明るく可愛らしく清らかな(つまりピッタリ母好みの!)祭壇が見事に出来上がっていて嬉しかった。

祭壇前に運ばれた棺の中の母も、きっと満足してくれたと思う。
「やっぱり娘二人産んどいてよかったわー」とかなんとか、お茶目な顔で言ってくれる気がした。

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