母のこと(その12)

納棺が無事終わり祭壇と会場の準備もほぼ整い、喪服に着替えることにした。
大将に持ってきてもらった黒いワンピースに袖を通し、母のブラックパールをつける。
二日間寝不足なのに眠気やだるさを微塵も感じなかったのは、やはり気が張っていたせいだろう。

遠方から親戚が駆けつけてくれ、久方ぶりの挨拶もそこそこに母の急逝について詳細を語る。
この時は至極冷静に最期の様子を話すことができた。

心優しくてほんわかとしている従姉妹のTさんはずっと涙ぐんでいる。
彼女は母のお気に入りだった。
そして彼女も母のことをとても慕ってくれていた。
Tさんも母も本当に純粋な人で(あまり自分の身内を「純粋」とか「優しい」とかいうのはおかしいのかもしれないが)、二人の性格が似ているわけではないと思うが、なにか呼び合うものがあったのだろう。
母は、私のことをよく「Tさんと同じタイプ」と評していた。
でもそれは違うと思う(私はあんなに純粋でもなければ優しくもない)。
それを今回改めて感じた(そのことはまたいずれ…)。

17時を過ぎ弔問のお客様が徐々にお見えになる。
この頃からどういうわけかドラが俄然張り切りだした。
いらした方にコーヒーやお茶・お菓子などをお出しできるコーナーがあって、そこには当然斎場の係の方がおられるのに、ドラが「僕の出番」とばかりにキビキビ働き出したのだ。

「コーヒーはいかがですか」
「お茶もありますよ」
「こちらはお菓子です、どうぞ」

それはもう過剰サービスともいえそうな接待である。
最初はあっけにとられていた係の方も、その熱烈な?サービスを微笑んで見守って下さった。
もしかしたら弔問の皆様の沈みがちなお気持ちも、少しだけ和ませることができたかもしれない。
「気が利くわねぇ」などと褒められ、ドラは更にやる気を出していた…。
(この調子に乗りやすい性格は誰に似たのかしら?)

やがてお導師様がお見えになり、私たち家族は揃って祭壇前の遺族席に着いた。

読経が始まる。
ふと遺族席横の小さな母の写真を見ると、そこに白木のお位牌があった。
初めて知る母の戒名が書かれていた。

その11文字を目にしたとたん、止まっていた涙が堰を切って溢れだした。
最後の4文字だけここにも書いておこう。

「美笑大姉」

笑う、という文字が母の笑顔そのものに見えた。

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