母のこと(その13)

戒名のことをその瞬間までまるで意識していなかったせいもある。
目に飛び込んできた11文字の持つ引力は衝撃的だった。
どの文字も、母が無上の喜びを感じるであろう気高さを漂わせ胸を打つ。

家族との短い会話だけでこれほどに素晴らしい文字を選びとれるお坊様を、尊敬せずにはいられなかった。
(お通夜の後に父はその戒名を「(母さんには)出来すぎなくらいだ」と呟いた。辛口!こんな時にも批評精神を忘れない父が面白いが。)

祭壇の正面、あまたの花々の中に笑顔の遺影が飾られその下にも(少し大きめの)白木のお位牌が置かれていた。
祭壇の脇には母が作った短歌・詩歌の見事な墨蹟。
本人が書いたものではなく、父の恩師が以前書き送って下さったもので(母の作品をいたく気に入って下さったそうだ)、母はそれらを「私の宝物」と呼んでいたのだと言う。
それを思い出した父が、お通夜の前に家まで戻り持ってきたのだ。

そして思いがけないほど多くの方々が弔問に訪れて下さった。
突然のことだったのに、そして一介の専業主婦に過ぎなかったのに、こんなに沢山来て下さるとは…。

美しく芳しい花にかこまれ宝物だった思い出の品も飾ってもらい、この上ない戒名を授かり大好きだった音楽に送られ、何よりも悼む気持ちを沢山沢山寄せていただいて、母は幸せ者だと思った。

後悔していることや納得できないこと、年老いても忘れられない幼少期の辛い戦争体験、どうにもならない病気、数々の心配、まだまだやりたかったこと言いたかったこと。
本人にしかわからないけれど、それでもこうやって皆に送られる人生は悪くなかったんじゃないかな。

今、久しぶりに平原綾香のJUPITERを聴いている。
母亡きあと、この曲は私たちにとっては母からのメッセージ以外の何物でもない。
(母からのメッセージといえば、実は家族それぞれに色んな形で伝わってきたものがある。普通に考えれば「思い込み」とか「オカルト的」な話なのかもしれない。でも、現実に体験してみるとそれはちっとも不思議でも恐ろしくもなく自然なことに感じられた。一言でいえばああやっぱり…肉体は死んでも魂はあるのだな…という実感。追々書きます←まだ書き続けるつもりなんですが本当に長くてごめんなさいー!)

望むように生きて、輝く未来を。
その歌詞は三人の孫に伝えたかったこと…巫女のように確信できます。

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