天才を感じることは凡才の無上の喜び その2

矢野さんはトークの間も終始ピアノを弾いておられた。
音楽のように話す。
話すように歌う。
仏様のように笑う。
笑うように歌う。

初めて聴いた「きよしちゃん」は、忌野清志郎さんに捧げる歌だった。
なんの説明もなかったけど、すぐにわかった。
きよしちゃん、きっと喜んでます。

あっこちゃんときよしちゃんが歌う「ひとつだけ」もYOU T○BEにあって、これはもう天才×天才で、金銀財宝螺鈿紫檀五絃琵琶貴方的心開鍵!って感じっす。
(文字化けしそうな漢字の羅列でわけわかめー。凡才の限界。)

「中央線」も良かったなぁ…「SUPER FOLK SONG」も良かったなぁ…どっちも古い曲なのになぁ…。
(ものすごく忘れっぽいのに、好きな時間を思い出してその世界観に浸れる芸当だけはちょっとしたもんだと自負しているスミコです。)

舞台上にはピアノと矢野さんだけ。
シンプルこの上ないステージ、そして客席は残念ながら満杯ではなくて(文化度低すぎるんだよッ、と内心怒り嘆くスミコであった)、それでも満ち足りた空間だった。
それは紛れもなく矢野さんの「愛」が充満していたから。

「こんなガサツな人間にもちゃんと応えてくれる、なかなかいいヤツです」と、弾いているピアノを撫でる。
その光景を見てドラは「あれはね、六千万だもんね♪」と満足そうにしていた。

(注:バックステージツアーの折に、ステージ裏に置いてある数台のピアノが高価だと聞いて参加していた子どもたちは俄然目を輝かし「いくら?えッ、ろくせんまん!触っていい?ちょっとだけいい?わーい六千万に触ったー!」と喜んでいたのだった…コドモって、コドモって。)

六千万だからじゃなくて、矢野さんが弾いてくれるから応えてくれてるんだよ、ピアノと相思相愛なんだよ…ということは黙っておいた。
「調律チェックをする矢野さんをみて涙ぐむ清水みっちゃん」がわかる年齢になったら教えてあげよう。

アンコールも含めて2時間足らずのコンサート。
4時間近く天国大解放状態(加えて個人的には宇宙遊泳遊体離脱)のスマコンとはまるで異質だけど。
こんな満たされ方もあるんだなぁと、細胞の隅々まで温もった夜でござった。

同時代の天才あっこちゃんに、またいつか会いたい。

野田さん(野田秀樹)もまさに同時代の天才で、こちらのことも次回こそ。
…書けるかなぁ。