一周忌 その3
(16日付・その2からの続き)
母のことをきちんと書こう書こうと思っても、なかなか書けずにいたこの一年は、私にとってのモラトリアム最後の年だったのかもしれない。
果たして母は、いまさら私が過去のことをぐちゃぐちゃと思い出しだらだらと書くことを望むだろうか。
書かないまでも、心の中にずっと(それこそ死ぬまで)様々な思いが去来するだろう。
親から受けた影響というのは人間の軸になるものだから。
程度の差はあれ誰だって親に対しては、愛憎ともに抱くはずだ。
他人とは比べるすべがないから、自分がどのくらい強く(母親に対して)愛情と憎しみを感じていたのかわからない。
ただ、物心ついたときから母は「ふつうじゃない人」だった。
それが私の「ふつう」だった。
しかし、一つだけ間違いないのは母が愛情の塊のような人だったこと。
心の病気を抱え、性格的にも(愚直といえるほど)まっすぐで融通がきかず、強情だし頑固だし強圧的なところすらあったが、家族や友人を愛する気持ちは鋼鉄よりもダイヤモンドよりも硬く強かったと思う。
だから思春期にも私はグレなかったし(まぁ、母に心配をかけないというのが人生最大の目標であった私にそんな選択肢はなかったけど)、母が亡くなったときにも心の底から感謝できたのだと思う。
改めてこんなことを書くのはこっぱずかしいけど。
あの母がいてこそ、いまの私がいる。
命日の今日、もう一度天に祈ろう。
ありがとうね、おかあさん。
これからも家族を見守っていてください。
2010年2月17日、母・美紀子の命日に。
おまけ。
昨日の夜、あなたの孫のドラがぽつりと言ってましたよ。
「おばあちゃん、100歳まで生きてて欲しかったのに。」
「そうだね、せめておじいちゃんには100歳まで生きて欲しいね」
「うん。それでオレは1000まで生きてみせるぜ!」
とんちの利いた?孫も10歳です。
朗らかに笑うお母さんの声が聞こえるようです。