うつけ、巫女になる その2

18にちも19にちもそしてふくおかでも、きごころのしれたともだちとならんでみられたことが「のうみつス巫女」になれた(なっちまったというべき?)りゆうのひとつだとおもう。
いいとししてひとみしりで、こころをひらけるひとがかぎられているから。
いっしょにみるひとって、だいじ。
たまたまちかくにいあわせたみしらぬひとも、だからほんとうにおおきなえいきょうりょくがある。
そのことについてはまたあらためてかこう…いまはふゆかいなことはおもいだしたくない。

巫女化したぜんようも、かきのこしたいけどうまくかけるかどうか…。
でもがんばってみます。
だれもそんなことがんばれといわないきもするけど。

とりあえずはいまのきもちを。

すまこんがおわってしまってさびしい。
あのひとたちにこんどはいつあえるのかとおもうとこころぼそい。
これいじょう巫女化していたらにちじょうせいかつがおくれなくなるとおもうけど、もうずっとねなくてもたべなくてもいいから巫女化していたいともおもう。
じっさいにはむりだし、ゆるされないし、ありえないけど。

さびしいきもちをわすれないで。
こんどあえるときもっとうれしくなるから。
またはやくあえるように、みなさんどうかいのっていてください。

おーらすのあいさつでなかいさんがそういった。
いのってるよ?このにねん、ずっといのってたよ?とすこしせつなくなりながら、だけど、もっともっといのろう!とおもいました。
もっともっといのっていいのなら、まいにちいのろう!とおもいました。

しりませんよなかいさん。
しりませんよすまっぷさん。
巫女にむかっていのれといったらとことんいのりますよ?
(なんのおどし?)

いろいろあったあのひとたち、いろいろあったこっちがわ、そしてこれからもいろいろあるあっちとこっちのまいにちが、つらくてもしんどくてもいやなことがあっても、またあえるからがんばろうとおもうし、またはやくはやくあえますようにといのります。

20だいでであって、30だいではまって、40だいになってもすきですきで、おそらく50だいになっても60だいになってもそのさきも、ずっとずっとすきだとおもえるひとたち。
そんなひとたちにであえたことが、それじたいがいのりのようなもの。
それじたいが、きせきのようなできごと。

ありがとう、すまっぷ。
まいにちいのれるしあわせを、ありがとう。