見極める

最近ずっとこてスマモード(=テンチョモ)ですいません、残暑厳しき折さらに暑苦しい愚日記に本日もようこそ。

たまにはスマネタ以外も書いておかないと。
それ以外のことをなにも考えていないわけじゃないんです、本当です。
(力説するところがアヤシイ)

とりあえずこの言葉から。

「失言したって女がいたって献金をもらってたっていいから、私たちには関係ないから、とにかく続けてほしいんです。復興のためにしっかり継続してほしいんです」

経産大臣辞任のとき、福島でインタビューを受けた女性の声。
録画していたわけではないので正確な言葉ではなく、ニュアンスだけど…その方の切実な訴えが今も耳に残っている。

政治家にとって言葉は武器になるはずなのに凶器にしてしまう人がなんて多いんだろう。
実際、今回の失言は最初に聞いたとき私も少なからずショックを受けた。
大臣である前に人としてあまりにも思慮に欠けた言葉だと思った。
ただ問題は、それらの「失言」を話の流れの中でではなくその部分だけを抜き出した報道で知ったこと。
しかも「放射能うつす」とか「つけちゃうぞ」とかに至っては各社バラバラな表現で相当曖昧だったことが、後から判明している。

失言は良くない。
だけどバランスを欠いた報道はもっと良くない。
すべてを鵜呑みにしてしまう態度はさらにさらに良くない。

今朝ツイッターで知ってネットで読んだ記事(↓)http://gendai.ismedia.jp/category/news_hasegawa

昨日の朝日新聞「フクシマの希望」という特集には、藤原新也さん(写真家・作家)の言葉が掲載されていた。
ネットでも読めたので↓に貼りつけ。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/01e5fc1ea1760211543cb6298cc51db7

藤原さんの仰るとおり「自分の足で歩くしかない」のだ。
情報は自分の眼と耳で取捨選択する。
拾ったものも反芻して確かめる。
見極める。

その一点をいつも心の奥にしっかり持っておかなくては。

もうひとつ、印象的だったのはドナルド・キーンさんの言葉。
「便利なものは美しくない」

あの震災以降、エネルギーや水などをじゃんじゃか消費する生活の実態がどんなものだったか、反省をこめて考えた人は少なくないはずだ。
それでも「便利なもの」は魅力的で、電気や水道が自由に使えないような生活には戻りがたいとついつい思ってしまう。
節電や節水はもちろん続けるけど、これ以上は厳しいかな…なんて安易に自分を許してしまったり。
ものごとを「楽か」「快適か」という判断基準ではなく「それは美しいか美しくないのか」という視点からも常に考えること。
個人的に忘れがちなので、いつも心にキーンさんを。(自分への戒め)

他にも書きたいことが色々あったのだけど、本日はちょっと時間切れ(泣)