実人生の白兵戦

先日、新宿・紀伊國屋サザンシアターにて「泣き虫なまいき石川啄木」を観た。
(作・井上ひさし、演出・段田安則、出演・稲垣吾郎貫地谷しほり渡辺えり西尾まり鈴木浩介段田安則

(ネタばれしまくっております!これからご覧になる方はご注意くださいませ。)

没後100年ということで、今年は舞台で二人の石川啄木さんに出逢った。
一月に観た「ろくでなし啄木」では藤原竜也が、そして十月には稲垣吾郎が啄木であった。
(お、稲垣吾郎が…なんて文章中フルネーム呼び捨てするは初めてじゃないかしらん?新鮮…!って何の話だ…)

それぞれの啄木さんたちを比べようとは全く思わない。
ただ単純に、同じ人物を描いた作品を同じ年に二つ観るということが面白く、しかも二つの作品ともに‘今まで持っていた啄木のイメージ’を大きく裏切るものだったから、自分の中で啄木さんが立体的に浮き上がってワクワクしたのだ。

今回出逢った稲垣・啄木は、自らの才能と家庭内のあれやこれやに苦悩しジタバタする「へたれ」だった。
でもとってもチャーミング。
ゴロさんが演じる役はどんな役でも上品さが漂う(と思う)ので、貧困生活に喘ぐ感じはどうしても薄かったけど(笑)、でも立派に?苦悩するヘタレだった。

どんな種類であれ家族のいざこざがどれだけ精神的ダメージを与えるものか、まるで理解できない…という人は恐らくいないだろう。
どこの家庭にも大なり小なりいざこざがあって、それでもなんとか一緒に暮らしていかねばならず、歩み寄ったり騙し合ったり我慢したり爆発したり。

今回の舞台で描かれた石川家は大変な内紛を抱えていた。
それもこれも「貧乏」が引き金になっているのだけど、妻と母が争い、母と父が争い、父母が寄ってたかって啄木夫妻の生活を脅かし、父と母も争い、妻に浮気疑惑が持ち上がり、生まれてすぐの赤子は病死…。

そのような悲惨な状況を、啄木は「実人生の白兵戦にまみれている」と表現する。
この台詞にはぐーーーーっと掴まれた。
そうなんだ、実人生って白兵戦ばかりだ…(何があったんだスミコよ)(後生だから聞かないでください)(一人芝居か!)(…気を取り直して続きを書こう)

鈴木浩介さん演じる金田一京助が「超お人よしのボンボン」で何かと言うとお金を貸してくれる(というより恵んでくれる)のだが、彼の存在が一服の清涼剤になっていて…金田一さんがいなきゃ石川家は成り立たなかったのね?京助さんありがとう!という気持ちに、観ているこちらでさえ感謝してしまうという…。

なにしろ母(渡辺えり)はキツイ嫁いびりをする、嫁(貫地谷しほり)は我慢を重ねているがたまにぶち切れる(そりゃそうよね節子!)、父(段田安則)は胡散臭い生臭禅僧で口先では綺麗事を並べても実態が伴わず、啄木の稼ぎは少なくどちらかといえば(いやはっきりと?)甲斐性なし。
妹(西尾まり)がたまにやってきて争いを止めようとするが結局はどうにもならず、母とぶつかり父とぶつかり挙句「夫婦」や「家庭」に夢を持てなくなる始末。

どの台詞も生活実感があり、達者な役者さんたちが演じるから一層生々しくなるのだけれど、ドロドロしていたりうんざりするような場面であっても、可笑しみ・ユーモア・ペーソスが滲み出てきて井上ひさしの世界に引き込まれる。

脚本もいい、演出もいい、役者もいい。
大満足なお芝居だった。
カーテンコールがいやにあっさりしていて、拍手し足りなかった。

ここから先は蛇足。

今回の舞台はちょっと感激するくらい役者・稲垣吾郎がよくてよくて、いちスマヲタとして胸がいっぱいになってしまった。
これまでも舞台で演じるゴロちゃんは何度か観ている。
その都度「ゴロちゃん素敵!」「チャーミング…」「綺麗な立ち姿…」「あら裸足!足のうらまで色っぽい☆」とか思ってきたが(おい)、周りに芸達者な役者さんがいればそちらに集中してしまうこともしばしばだった。(これはあくまでも個人的な意見です)

でも23日に観たお芝居の中の吾郎さんは、総勢六名の役者の一員として堂々とその任を果たしておられた。

「プロフェッショナル」の中で「踊りだけ、お芝居だけ、それだけを一本でやっている人には僕らはかなわないので。それでも、下手でもやっぱり一生懸命頑張るしか、常にそこは全力で頑張っているところを見せていかなきゃなと思いますけどね」と言っていたゴロちゃん。(ちょっと略してますが)

それだけを一本でやっている人たちの中にあって、浮かず、埋没せず、適度に存在感を薄めたり強めたりしながらあの膨大な台詞を自分のものとしていた稲垣吾郎は、見事な舞台役者でありました!
お芝居は生モノだから、その日その日で出来が違う。
2回3回と同じ作品をみればそのあたりも体感できるだろうが、私は今までその経験がない。
(スマコンはお芝居じゃないからね←何の話だ)

だから比べようもないけど、23日の「泣き虫なまいき石川啄木」は実に優れた舞台作品であったと、あれを観ることができて幸せだったと、今なお余韻に浸っている。

ここからは余談。

この日は芝居前に、かれこれ10年以上の知り合いであるスマ友さんと久しぶりに再会し、ランチを食べつつお喋りできたことも嬉しいことであった。
芝居後にはまた、別のスマ友さんと飲んだり食べたり喋ったり。

くじ運には見放されている私だけど、友運には大いに恵まれている。
そもそもこの舞台のチケットも、自分は外れてばかりでスマ友の「運クン」をわけてもらったのだ。
スマ友さんたち、それから間接運クン、どうも有難う。

スマがいて、友人がいて、家族がいて。
だから頑張れる。
実人生の白兵戦、今日も明日も頑張ろう。(どうしたスミコ)(いえ聞かないでください)(また一人芝居か)(ただの分裂症だったりして)(なんでもいいからボチボチやりな)(はいそうします)