RainManを映画館で観たのは…

懐かしのレインマンダスティン・ホフマントム・クルーズの映画。
日本で公開されたのは1989年2月らしい、ということは私は福岡にいて社会人一年生で(23歳になりたて!…あ、年がばれる!…いや、とっくにばれてーらー旅慣れてーらー、ほらまた古いネタを…)、バリバリ遠距離恋愛中(凄い響きだなコレも)で、だからこの映画も当時の彼とデートのときに見たんだっけかなぁ。

誰と観たのかぜーんぜん覚えてないっていう!
女友達かもしれないし、ひょっとして姉と…?うーむむ…この恐るべき忘却力…。

映画館で見たことだけは確実なんだけど。
この忘れっぽい私が全体の大まかなストーリーと共に幾つかのディテールを覚えていたし、なんといってもダスティン・ホフマンの演技力に舌を巻いた記憶は鮮明だ。

先日、そのレインマンをTVで放送していた。
録画したものを先ほど見終わって、23年前(!!)の映画館を思い出そうとしたのだが。
はーいお手上げでーす、わー終わってるーあたし終わってるー(泣)。

そんなことはどうでもいい。
(本当はどうでもよくないけどとりあえず横に置いておく。)

当時も感銘を受けたのは間違いないけど、23年後に再び観られて良かった。
自閉症サヴァン症候群)で施設に預けられていた兄と、肉親との温かい想い出が圧倒的に不足していて性格的に少し歪んだところのある弟。
以前見たときには兄レイモンド(役のダスティン・ホフマン)にばかり目を取られて、弟チャーリーの内面に深く思いを馳せるということがなかったように思う。

(以下ネタばれあります)

まぁね〜凄すぎるからね〜ダスティンってばね〜…トム・クルーズなんて既に「トップガン」「カクテル」を演じた後でばりばりのスターだったのに存在感薄いっていうか(おっと、意見には個人差があります…お好きな方すみません、けなしているわけでは決してないのです!)、でも父を恨んで怒りや遣る瀬無さを抱えたまま大きくなってしまった若い男を好演してらしたのね…今見直してみると。

だから「レインマン」の謎が解ける瞬間がちょっとたまらなかった。
永久凍土のようだった幼少・青年期に光が射して、自分にもちゃんと降り注がれていた愛情に気付いたときの、あの顔。
母親が病死してしまい、まだ幼かった弟を傷つけることのないようにと配慮されて施設で暮らすことになった兄、そうせざるを得なかった愛情表現の下手な父親。
辛いときにチャーリーを支えたものは「レインマン」、雨が降るとレインマンがきて歌を歌ってくれる…空想上の存在のように思っていたそれは、兄のレイモンドのことだった。
映画には出てこないけれど兄弟の母親は慈愛に溢れた人だったろうなと想像する。
自閉症の息子を自宅で試行錯誤しながら一生懸命に育て、歌を歌ってやり身なりを整えさせ慈しむ姿が浮かんでくる。
この母親が生きてさえいれば、不器用な父親は長男を施設に預けることもなく次男と決別することもなく済んだのではないだろうか。
長男のことを次男に話す機会すらなく、父は孤独の中で亡くなった。
この映画のストーリーはここ(父親の死)からほぼ始まるわけだが、禍福はあざなえる縄のごとし…というか。
亡くなって初めて父は息子たちに愛情を示せたことになるのだから。
それがきっかけで次男は長男に出逢えて、兄はずっと家族のことも弟のことも覚えていて、弟は家族のぬくもりを取り戻せたのだから。

単純なハッピーエンドではないラストシーンも静かな説得力で迫る。
このラストをハッキリ覚えていなかったということは、23歳の私にはそこまで響かなかったのだろうか…電話番号を暗記しちゃうシーンとか、「カンタスは無事故」とか、床に散らばった爪楊枝の数を瞬時に言えたり数字にやたら強かったりするシーンは強烈な印象があるのに。
一週間ずっと車で旅をするロードムービーという印象も強かった。

でもこれはもっと内面的な旅を描いたものだったんだなぁと今になって気付かされており…若いってそれだけで本当に素敵だけど年を取るのもまぁまぁ悪くないかも?なんてねー(笑)

さてと本日は時間切れ。
先週末のスマ酔い日記&酒酔い日記も書きたいのですがまた今度。

あ、そういえばレインマンを観た理由は「懐かしかったから」だけではなくて、4月からのドラマで中居さんが演じるATARUさんがサヴァン症候群だから…という不純(不純?)な動機も、フフフ。
しかしダスティンってばホント凄すぎる、「クレーマー、クレーマー」「トッツィー」他にも色々彼の映画は見たけど(流石に「卒業」はオンタイムでは観てませんぜ、ビデオでみたな…ビデオってのも古いな…ううっ)、とにかく名優であり怪優。

あんな役者と比べられたらてーへんだよにゃかいさん!
別物!別物!別物!(呪文?)
で、あたるちゃん仕様の髪型はいつ拝めるんでしょうかー?