一年と三ヶ月

東日本大震災から今日でちょうど一年三ヶ月。
毎日毎日どの瞬間もあの震災を忘れていない、とは言えない。
だけどあの震災や原発事故を「過去のこと」とは到底感じられない。
上手く言えないけれど、あの日以前とあの日以降で自分の時間が変化していて「今」は「たったいま」だけではなく「あの日から続くいま」でもあるような感じ。

それは恐らく自分自身も「死ぬかもしれない」と思うほどの揺れをあの日に体験し、その後の余震でも東北や茨城などが震源であれば地続きであるから必ず千葉も揺れ、緊急地震速報で何度も震え怯え身構え、原発関連のニュースを見れば心配と不安だけではなく疑心暗鬼にもなってきたせいだろう。
(以下、ちょっとたたみます)


だから「東電福島原発の事故の記憶が残る中で」という先日の首相発言は物凄く抵抗を感じた。

普通に考えれば一年以上たっていることに対して「記憶」という言葉を使うのは間違っていない。
けれども、あの事故が終息しているとは到底考えられない状態の中で再稼働を明言しあろうことかそれを「国民の生活を守るために」と演説した人が使う「記憶」には、大変な事故でしたがあれはもう過去のこと…と日めくりカレンダーのように「あの日」をバッサリ切って捨てる音が付加されているように思えてならなかった。

あの事故は過去形ではなくて、これからも日本で暮らす以上はずっと様々な影響がでてくるであろう現在進行形のものだ。
そう思いたくはないけれども、子供たちの未来にもきっと何らかの形で続いてしまうものなのだ。

記憶が残る中で、なんて言えるのは「今も続く痛み」としてあの事故を捉えていないからではないのか?

地震津波だけでも本当に本当に悲惨なことであったのに。
原発事故まで起きてしまったがために復興が遅れ、農産物にも魚介類にもそして多くの生態系にも(まだ全貌すら分からない)打撃を与えたというのに。

放射性廃棄物の処理すらおぼつかないままに再び「トイレのないマンション」に戻るのが「国民の生活を守るため」だと?

馬鹿なのでよくわからない。
馬鹿なのでなにから始めればよいのかわからない。
だけど馬鹿でも憤りを感じるのだ。

あの日から一年三ヶ月経って、憤りにまみれているだけで何もできないけれどこれだけは。

あの日は断じて過去ではない。