昨日のお話

昨日は12月8日。
太平洋戦争の開戦日、両親の結婚記念日、そして吾郎ちゃんの誕生日。

なんというか悲喜こもごもを体現したような…とにかく、戦争が出来る国になんて私は絶対にしたくない(唐突なる中年の主張)。

そして母が亡くなってもうすぐ4年経つけれども、父にとって今年は壮絶な一年であったと思う…でも亡き妻との結婚記念日に家族で(姉夫婦と私たち夫婦と5人一緒に)美味しく牡蠣など食べることができて、一年の終わり近くにほのぼのとした時間を過ごせて良かったなと心底思うのである。

さらにはゴローちゃんが39歳、まさに3956(サンキュー吾郎)の佳き日なのであった。
何度も書いているけれど私がスマを知るきっかけとなったのはゴロちゃんのおかげ。
ゴロちゃんなくして今の私はなかった。
ありがとう、ゴロちゃん!

さて、憧れの牡蠣小屋に念願かなって行けた話をちょっとだけ詳しく…。
姉夫婦が誘ってくれて、父も連れて5人で行きましょう行きましょうそうしましょう!と話がトントン拍子に進み、朝早くから家事をこなしドラを部活に送り出して張り切って出掛けたのは糸島半島

寒さになんか負けないわ、牡蠣のためならどこまでも…!(ってそんなに遠くないんだが)と完全防備&ワイン持参で(持ち込みOKなんっすよ奥さん!)やる気バリバリな妹夫婦に一瞬怪訝な顔をする姉であったが(そこまで寒くないわよ?と彼女はかなりの軽装であった、姉の底力を感じた…)ともかく現地へ、今年は牡蠣が豊漁とは行かず早くしないとなくなっちゃうかも、と急ぐ。

海岸近くにダダ〜っとならんだビニールハウスのような巨大テントのような小屋からは熱気が立ち昇っている!
どこでもいいけん入るけんね、そんでもって食うけんね、バリバリ食ってやるけんね!と肩をいからして小屋に突進。

慣れた様子で義兄が注文してくれる。
「とりあえず3キロ!」

3キロの牡蠣ってどんなもんかよくわからんままに、用紙されている赤い上着をはおり(凄く跳ねるのです汁が、新鮮な牡蠣くんたちが炭火の上でダンスするので…☆)ビールで乾杯(姉は運転があるためノンアルコール…すまんねスポンジ姉!)
じゅわじゅわと音をたてる牡蠣、えもいわれぬ香り…(遠い目)。

そして口にした一個目の牡蠣の味わいたるや…!

至福ってこのことよネ!と叫びたくなるような!

持ち込んだスパークリングワインもどんどん進み、夢中になって牡蠣の殻を空けてはかぶりつき、サザエや小型のフグも焼いて楽しんでいると「牡蠣、あと2キロ頼みましょう!」と義兄が嬉しい追加注文♪

いやー、食った食った(品がないですよ)、本当にあんなに美味しい新鮮でプリップリな牡蠣をたらふく食べたのは初めてじゃないかというくらい…(単純計算で一人1キロじゃからのぅ)。

カキ飯とお味噌汁で締めて、満足満腹満面の笑みの5人となった。

その後、粋なお酒屋さんやわんこのいる喫茶店にも連れて行ってもらい、充実のひとときをすごして姉夫婦&父と別れたのであった。

数時間後。

突然体調に異変を感じるスミコ…なんだこれ、なんだこの胃のむかつきとだるさは…。
まさかまさか、牡蠣に中ったのか…?

そういえば、少し前に大将がスーパーで買って来た(十分新鮮だった)生牡蠣を食べた後にも同じ状態になったっけ…。
でもあの時はちょっと風邪っぽかったし疲れも溜まっていたから「胃に来る風邪かな」と思っていたのだ…だけど…やっぱり牡蠣だったのか…?(泣)

大好きなのにーっ!!!

思い返せば幼少期、私は牡蠣を受け付けない体質であった。
生は勿論、ちゃんと火が通っていても(フライでさえも)食べるとリバース(泣)。
だから大人になるまで自分は「牡蠣アレルギー」だと信じ込んで一切食べなかったのである。

ある日、とあるフレンチレストランで牡蠣と知らずに食べたお料理の美味なること!
次の瞬間その正体を知って「牡蠣食べちゃった、うわあどうしよう!」と焦った。

しかし、まったくもって問題なかったのだ!
体質は変わり牡蠣アレルギーは治った、そしてそこから私と牡蠣のラブラブ時代が始まった…のに!

長く親密な牡蠣との時代は終わってしまったのか…!!(号泣)

うう…とりあえず牡蠣小屋で三年分は食べた!と思えたのでしばらく控えることとしよう…あんなに美味しいものが食べられなくなるなんて考えたくない…!
でもこの具合の悪さも忘れられない…!(一日経ってもまだなんだか不調…)

とにかく明日はまたバイトに行かねばならぬので、体調を整えてお仕事してまいりまする所存…!

人生楽ありゃ苦もあるさ…(なんか違うかも)…皆さまもお気をつけて…(とぼとぼ)…忘年会シーズンですからね…はぁぁ…美しき思い出だけを胸に…(とぼとぼ)…。