今年の一文字

2012を漢字一字で表現すると「金(きん)」、ということになったらしい。

オリンピックや何かで日本人が金メダル級の活躍をしたから、金環日食で沸いたから…などの理由とのこと。

にゃるほどね〜。
一年を振り返るにあたってマイナスイメージな文字はあまり気持ちの良いものではないから、色々候補もあっただろうけどそのあたりに落ち着いたのかしら?なんぞと考えつつ。

では自分はどうだったかなと。

私の2012年は「変」に決定(どこに向けて決定?)。

千葉から福岡へ引越して暮らすところが「変わった」こと。
住民票も生活環境も当然「変えたり」「変わったり」、電化製品や家具も必要に迫られて色々「変えるほかなかった」。
ドラ(息子・仮名)が小学生から中学生になったことも大きな「変化」。
勿論ドラの転校、大将(夫・仮名)の転勤も大きな大きな「変化」。
それから父の病気…これはとてつもなく「大変」な出来事だった。
父の人格そのものが「激変して」しまったと一時期は酷いショックも受けた。

変化というのは良い面も悪い面も持ち合わせるものだと身に沁みた一年でもあった。

長く暮らした千葉を離れ、親しくしていた友人たちともなかなか会えなくなってしまったけれど(でも心の中ではいつもそばにいるのさ!って青山スミコ・テルマ?…あ、ちょっと古い?)、21年ぶりに福岡に戻って復活した友人関係もある。

細々と…まさに年賀状レベルの付き合いは続いていたが何年も(中には何十年も)会っていなかった友人たちと、このところ再会する機会が続いて「懐かしい!」「でもそんなにブランクがあったとは思えない!」と矛盾しているようなしていないような(どっち!)感覚を何度も味わえた。

ある友人は仕事(単発バイト)を紹介してくれ、ある友人はドラの中学について地元ならではのアドバイスをくれ、ある友人は美味しいレストランを教えてくれ、ある友人は車で山口に住む共通の友人宅まで連れて行ってくれ、その山口在住の友人は心のこもったランチでもてなしてくれ…。

多くのご厚意…なんて言葉はなんだか妙によそよそしいけど、本当に友人たちの厚き人情…に包まれて、寒いけれど温かい2012年の暮れ。

昨日も中学校時代の友人とウン十年ぶりの再会を果たすことができた。
中学生のときには本当にウマがあって何でも話した仲だった。
高校、大学は別々になってしまい、社会人になり結婚し出産し子育てし…という20代30代はまったく接点なく過ごし(年賀状で「今年こそ会いたいね」とお互いに書き続けても実行できず)、40代半ばを過ぎての再会である。

そりゃーもう「おばちゃん」である、お互いに(笑)。
だけど不思議なことに、印象が全く変わらない。
タイムトラベルしたかのごとく、昨日もあって話したがごとく、なんの違和感もなく一緒にいられる。
その感覚はほかの友人たちと再会した時にも強く感じた…友人ってものは、つくづく有難いもの。

だから私の、今年の一文字「変」には「不変」も含まれているのだ、へへへ!
(ちょっとズルイ感じだけども許してくださいまし〜!)
(変わりながら変わらずいられる それが得意のフォーム♪って歌詞もあることだし…ってそれはあんまり関係ないっすか?スイマセンスイマセン)

中学時代の友人の話をもう少しだけ書いておこう。

彼女はお母様を今年4月に亡くされた。
私も昔々、何度かお目にかかったことがある。

どーんと大きくて明るい、テキパキとしたお母様だった。
あの頃のお母様は恐らく今の私たちと同じくらいの年代でいらしたのだろう…それもなんとも感慨深い。

友人はお母様の最期のことで少し後悔があったらしいが、知り合いからいわゆる霊媒師…というのかな、「亡くなった方と交信できる人」を紹介されて(それも不思議ないきさつで)(商売なんぞではまったくないです、念のため…)その辛い気持から解放されたという。

淡々と話しをしてくれた友人の言葉を、私も淡々と聴くことができた。

「人って、亡くなったからといっていなくなってしまうものじゃないんだね」と彼女が言った。
「そうだね。私も母が亡くなった時に実際にそれを肌で感じたからよくわかるよ」と答えた。

姿は見えなくても、声は聞こえなくても。

それはもしかしたら、はるか遠く遠く離れた友人のような存在なのかもしれない。
電話もできないし、ちょっと飛行機で会いに行く…というわけにもいかないけれど。

大将が「夏から福岡に転勤だって」と私に告げたとき、こんなことも言っていた…「おかあさんの仕業かな(笑)」。

私の母はとてつもなく心配症だったから。
私たちが千葉(特に地盤のゆるい場所)で暮らしていることも、父のこともそのほかのことも、あれこれ心配して「エイヤ!」と念を送ったのかもしれん…。

昨日、友人と話していたときに「もしかしたらまた別の‘念’もあったかな?」とふと思った。
それはほかでもなく友人のお母様のお気持ちで、仕事のパートナーでもあったお母様を失った友人が落ち込んでいるのを黙って見ていられなくなったかな?と。

お葬式でも泣けなかったしそのあともあまり涙は出なくて…という友人が、昨日は私の前でポロポロと泣いてくれた。
もしかしたらそれは「あの子が泣ける相手…いないのかしら…たしかいたわよね、中学の時の子!」と探して念じて下さったのかも(笑)。

突拍子もないような話を書いてしまったけれど。
(もののついで?に打ち明けますが、彼女とそんな話をしていたとき私は背後にホワンホワンとした気配を感じていたのです…って書いちゃったよアハハ!私には全然霊感とかありませんから!こういった話が苦手な方にはゴメンナサイであります、でも嘘じゃないのよー、四つ葉のクローバーなのよー!←ドラマ「ゴーイング・マイホーム」をご覧の方にだけ伝わる表現)

最後にある意味「変な」話を書いたところで本日はおしまい。

(一番ヘンなのは私自身です、ええ。そのことについては後日…書きたいと思います…ほほほほほ…!)

(あ!9日の日記に☆いただきましてありがとうございますー♪)